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    <title>福島敦子のアントレプレナー対談</title>
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    <title>福島敦子のアントレプレナー対談 No.25</title>
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    <published>2008-11-10T06:16:22Z</published>
    <updated>2008-11-26T09:27:51Z</updated>

    <summary>最重要課題はCSRの強化　福島　創業35周年の節目の年にバトンを引き継がれ、6月...</summary>
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        <![CDATA[<p><b>最重要課題はCSRの強化</b><br /><br />　<b>福島</b>　創業35周年の節目の年にバトンを引き継がれ、6月に社長に就任されましたが、最初にそのお話があったのはいつ頃だったのですか。<br />　<span style="color: rgb(0, 0, 255);"><b>一宮</b></span>　3月頃だったと思います。山田社長は会長、CEOとして経営全般の舵取りを引き続きしていただくとのことでしたので、正直いって社長ということ自体、実感がわきませんでしたね。しかし、社長になって、その責務の重さをひしひしと感じている昨今です。</p><p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img height="180" width="120" alt="福島敦子-No.25" src="http://www.shanimu.com/fukushima/img/fukushima25_02.jpg" class="mt-image-right" style="margin: 0pt 0pt 20px 20px; float: right;" /></span>　<b>福島</b>　私も多くの経営者を取材してきましたが、偉大な創業者を引き継いだ2代目社長からは、「やりづらい」とか「比較されて神経をすり減らす」とか、そんなお話をよく聞きます。一宮社長はどうですか。<br />　<span style="color: rgb(0, 0, 255);"><b>一宮</b></span>　私が入社したのは今から26年ほど前ですが、その当時から山田社長よりさまざまな面にわたり、指導・訓練を受けてきました。それが今の私の財産になっています。自分自身の中でそのような経緯があるので、やりづらいとか、そういったことはないですね。</p><p><br />　<b>福島</b>　この35年間でヤマダ電機は、専門小売店としては日本で初めて売り上げ1兆円を突破し、2兆円も目前です。これからどういう方向へ導いていこうとお考えですか。<br />　<span style="color: rgb(0, 0, 255);"><b>一宮</b></span>　現在、業界のリーディングカンパニーとして重要なことは、企業として社会的責任を持つということです。今まではがむしゃらに前へ進むことを考えていればよかったかもしれない。しかし、今後は社会的な責任を、なお一層自覚していかなければと思います。<br />　当社はCSR（企業の社会的責任）を推進していく上で、CS（顧客満足度）、労働問題、環境問題、コンプライアンス（法令遵守）の4点を掲げ、具体的に当社の事業の中で推進していますが、そのために大事なことは、人材だと思っています。人があって初めて、企業は成り立つ。そのように考えています。</p><p><br />　<b>福島</b>　人材育成はどの企業にとっても永遠の課題ですね。<br />　<span style="color: rgb(0, 0, 255);"><b>一宮</b></span>　「ヤマダ電機の社員でよかった」という誇りを持つ社員を1人でも多く育てること。そして、周囲の方から「さすがヤマダ電機の人ですね。違いますね」といわれるような人間を育てていくことが重要じゃないかと。我われ専門量販店で大事なことは、やはり接客なんです。お客様は商品を買いにきますけれども、人を通じて商品を買うということが基本ですので、教育に最大の力を注いでいかなければと思っています。</p><p><br /><br /><b>一流を超える企業にしたい</b><br /><br />　<b>福島</b>　拝見した資料では、一宮社長が人材の育成や、誇りを持って仕事ができる環境作り、あるいはワークライフバランス（仕事と生活の調和）などに注力されていると感じました。業績では業界のリーディングカンパニーになったわけですが、本当の意味で一流企業への進化を目指しているという印象を受けたのですけれども。<br /><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img height="180" width="120" alt="ヤマダ電機/一宮社長" src="http://www.shanimu.com/fukushima/img/fukushima25_03.jpg" class="mt-image-left" style="margin: 0pt 20px 20px 0pt; float: left;" /></span></p><p>　<span style="color: rgb(0, 0, 255);"><b>一宮</b></span>　売り上げや利益は当然のこととして、当社で働く社員も含めて一流を超える、超一流の企業にしていかなければと思っています。</p><p><br />　<b>福島</b>　一流を超える、ですか。<br />　<span style="color: rgb(0, 0, 255);"><b>一宮</b></span>　そのためには社員一人ひとりが経営理念をしっかり理解して、これを基にして企業として成長し続けることが大事だと思っています。<br />　山田会長は常日頃から「ヤマダ電機は膨張ではなく、企業として持続成長し続けなければならない」といわれています。私はそのことが、超一流企業としての証であろうと思います。そのためにもまずは、私自身が常に意識改革をしないとダメだと、そう思っています。</p><p><br />　<b>福島</b>　ヤマダ電機側にもいい分はあるでしょうが、メーカーからのヘルパー派遣問題で公正取引委員会の排除勧告を受けましたよね。そういう状況を鑑みての「超一流企業への進化」、「CSRの取り組み強化」という側面もおありなんでしょうか。<br />　<span style="color: rgb(0, 0, 255);"><b>一宮</b></span>　当社としては排除勧告については真摯に受け止めております。「業界の慣習で他社も同じことをやっている」という気持ちは持っていません。リーディングカンパニーとして真正面から受け止め、改善すべき点はすでに改善を行なっています。指摘された点も含めて、現状の当社は、業界の中でもクリアで透明度が高いと考えています。</p><p><br /><br /><b>企業理念の具体化</b><br /><br />　<b>福島</b>　これまでずっと「創造と挑戦」という理念の基にヤマダ電機は成長してきたわけですけれども、35周年を迎えた年に、「感謝と信頼」を改めて掲げられましたね。<br />　<span style="color: rgb(0, 0, 255);"><b>一宮</b></span>　「感謝と信頼」は創業時代から会長がいい続けてきたことです。私は「創造と挑戦」の根底にあるものが、「感謝と信頼」であると思っています。</p><p><br />　<b>福島</b>　企業理念が形骸化している企業も少なくありませんが、本当に浸透させるために、どんな取り組みを行なっているのですか。<br />　<span style="color: rgb(0, 0, 255);"><b>一宮</b></span>　企業理念を浸透させていくことは、非常に大切なことです。それには企業理念をいかに具体化し、事業に取り込んでいくかが重要なことだと思います。<br />　例えば当社には有資格制度があります。人事面において当社は平等ではありません、しかし公平です。やる気のある人、モチベーションの高い人、能力のある人はどんどん登用しています。<br />　現実に当社の役員は若いです、同規模の他社に比べれば。30代の役員もいますし、40代の取締役が非常に多い。能力のある人をどんどん登用していくためには、公平な人事評価が欠かせません。そのための制度が有資格制度であり、誰でもチャレンジできる。そして、正当な人事評価を受けられます。<br />　また、当社には改善提案制度というものがありますが、これも社員のモチベーションを高め、経営参加をしていくという意味から非常に重要なことであると考えています。<br />　これらは一例ですが、さまざまな面において、企業理念を具体化していくことが重要ではないでしょうか。</p><p><br /><br /><b>理念は机上の哲学ではない</b><br /><br />　<b>福島</b>　一宮社長ご自身のことをお聞きしたいのですが、ご実家は電気店だったそうですね。で、ある日、山田会長から電話がかかってきて「出てこないか」と誘われたとうかがいました。<br />　<span style="color: rgb(0, 0, 255);"><b>一宮</b></span>　そうです。私は山田会長の甥にあたります。当時の私は、大学は卒業したけれども、親のすねをかじっているような状態でした。就職も決まったんですが、そこも断って。「大学を卒業して俺は何しているんだろう」と悩んでいた時期なんです。そんな時に電話があった。</p><p><br />　<b>福島</b>　山田会長は当時から一宮社長のビジネスセンスを高く評価して、声をかけたのだと思っていました。<br />　<span style="color: rgb(0, 0, 255);"><b>一宮</b></span>　それはどうでしょうか。私自身、他企業で働いたこともないし、当然、実績もない。会長によって見出され、それこそ一から育てられてきましたので、ビジネスセンスがあるかないか、それ以前の問題ですね。</p><p><br />　<b>福島</b>　ちょっと不思議だったのは、一宮社長はその当時から「がむしゃらに働いたという意識がない」とおっしゃっていることです。<br />　<span style="color: rgb(0, 0, 255);"><b>一宮</b></span>　そうなんです。多分それは、先ほどお話ししたように、他企業で働いた経験もないので、行なっている仕事自体が当然のことのように思えたからかもしれません。<br />　ですから、がむしゃらに働いてきたという意識が自分にないんですよ。言葉で表しようがないんですが、自然と「当然のことのように仕事をしてきた」という感じです。</p><p><br />　<b>福島</b>　今の若者はマニュアル世代などといわれ、いわれたことはやるが、教えてくれないことはできなくて当然、という風潮が強いように感じます。そういう中では、一宮社長の仕事観はやや異質に映るかもしれませんね。<br />　<span style="color: rgb(0, 0, 255);"><b>一宮</b></span>　だからこそ、大事なのが企業理念なんです。企業理念というのは、創業者が頭で考えて「こういう会社にしたい」ということで生まれたものではなく、日常的な活動の中で行なってきたことを、言葉に置き変えたものだと思います。<br />　ありふれた言葉ですよね。「創造と挑戦」にしても「感謝と信頼」にしても。でも、なぜこれを大事にするかというと、我われが実際にやってきたことだからです。だから、大事にしたい。机の上の哲学じゃないんです。</p><p><br />　<b>福島</b>　ただ、トップが代替わりし、組織が大きくなる過程で、だんだん創業者の思いから離れていく面があります。そうなると、やはり&hellip;&hellip;。<br />　<span style="color: rgb(0, 0, 255);"><b>一宮</b></span>　これを引き継ぎ続ける会社にすることが大事なんです。我われがいなくなった後、どうなるか。永続性のある企業として育て上げていくことが大事なことだと思います。</p><p><br />　<b>福島</b>　常にベンチャーであり続けると。<br />　<span style="color: rgb(0, 0, 255);"><b>一宮</b></span>　それがなくなったらダメですね。　　　　　　　　   （敬称略）</p>]]>
        
    </content>
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    <title>福島敦子のアントレプレナー対談 No.24</title>
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    <published>2008-08-20T10:35:35Z</published>
    <updated>2008-11-26T06:09:40Z</updated>

    <summary>メイク・ア・ウィッシュとは  　福島　メイク・ア・ウィッシュはどんな経緯で設立さ...</summary>
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        <name>shanimu</name>
        
    </author>
    
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        <![CDATA[<p><b>メイク・ア・ウィッシュとは</b></p>  <span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img height="180" width="120" style="margin: 0pt 0pt 20px 20px; float: right;" class="mt-image-right" src="http://www.shanimu.com/fukushima/img/fukushima24_02.jpg" alt="福島敦子" /></span><p><b><font color="#0000ff">　</font></b><b>福島</b>　メイク・ア・ウィッシュはどんな経緯で設立された団体なのですか。<br /><b><font color="#0000ff">　大野</font></b>　1980年のことですが、アメリカのアリゾナ州に7歳のクリス君という白血病と闘う男の子がいたんです。彼にはおまわりさんになりたいという夢があった。その話を聞いた地元のハイウェイパトロール隊員が、ある日クリスに飛びっきりの1日をプレゼントしましてね。<br /><br />　その日、彼は特注のユニフォームを着てバッジを付けて宣誓式に臨み、警察官に任命されたんです。そして本当に市内パトロールをしたり、駐車違反切符を切ったりしました。<br />　でも、その5日後に亡くなったんです。その時、おまわりさんたちは同僚を亡くしたと。本気でやっている間に、人間的なつながりができたんですね。クリスがおまわりさんになりたいという気持ちを持っていてくれたことが、おまわりさんたちの励みにもなり、クリスを尊敬するようにもなっていったんです。そこで、クリスが亡くなった時に殉職した警察官としての葬儀を執り行なったんです。<br /><br />　その話が全米のマスメディアに取り上げられ、それがきっかけで、そういう子どもたちを手伝いたいということで「Make a Wish Foundation of America」ができたんです。ほとんどの州に支部ができ、日本もその加盟国として立ち上がり、さらにインターナショナルに広がりました。<br />　スーザンさんというアメリカ人女性が沖縄で立ち上げたんです。本国で理学療法士として働いていた時に、闘病生活の中で、夢を持つ子どもの瞳の輝きに心を打たれた経験から、日本でもこの活動を行ないたいと思ったのです。</p><p><br /><b><font color="#0000ff">　</font></b><b>福島</b>　今では世界何カ国に広がっているのですか。</p><p>&nbsp;</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img height="180" width="120" alt="fukushima24_03.jpg" src="http://www.shanimu.com/fukushima/img/fukushima24_03.jpg" class="mt-image-left" style="margin: 0pt 20px 20px 0pt; float: left;" /></span><p><b><font color="#0000ff">　大野</font></b>　28カ国です。夢をかなえた子どもの数は16万5000人以上。そのうち日本は1219人です（8月4日現在）。</p><p><br /><b><font color="#0000ff">　</font></b><b>福島</b>　大野さんの著書「メイク・ア・ウィッシュの大野さん」（メディアファクトリー）を読ませていただき、夢の力はすごいと改めて感じました。言葉を発することができなかった子が、夢をかなえることで言葉を口にしたり、歩けなかった子が自分の足で1歩を踏み出したり。夢をかなえることで自分に自信が持て、次の夢に向けて頑張ろうというエネルギーになるわけですね。<br /><b><font color="#0000ff">　大野</font></b>　そうなんです。夢がかなうと誇らしげに堂々としてくるんです。それはかなえてもらったからじゃなくて、かなえたからなんですね、自分で。その気持ちがその子を変えていくんだと思います。<br />　それまでは、いつもしてもらう一方であったり、あるいは家族に迷惑をかけているとか、そういう切ない思いを抱えている。それが夢をかなえた瞬間から、病気のままでも自分でできたという思いが生まれ、自分がやったことで両親や周りの人もこんなに喜んでいるという、自分が喜びの発信地だということが、自信になるんじゃないかと思うんです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><b>個別に夢をかなえる意義</b><br /><br /><b><font color="#0000ff">　</font></b><b>福島</b>　とても印象に残ったのは、子どもたちの夢を一人ひとり個別にかなえることにこだわっていることです。例え10人の子どもたちがディズニーランドにいきたいという夢を持っていても、10人の子どもを一緒に集めて連れてはいかない。そのあたりがメイク・ア・ウィッシュの活動のスピリッツを、表現しているように思うんですけれども。<br /><b><font color="#0000ff">　大野</font></b>　一生に一度だけの夢をかなえる時に、そこがすごく大事だと思うんです。「みんなでいきました」「楽しかった」では、その子の人生や見える景色を変えるほどのインパクトにはならない。あなたのためにこれだけのプロジェクトが動き、たくさんの人が応援してくれる。だからこそ、その子は自分の生きる立ち位置を発見できるのだと思います。</p><p><br /><b><font color="#0000ff">　</font></b><b>福島</b>　とても有意義な活動だと思います。でも、携わっている方にとっては、難病と闘う姿を目の当たりにしたり、時には死に直面したり。精神的にタフじゃないと務まらないのでは、とも思います。<br /><b><font color="#0000ff">　大野</font></b>　取材を受けるたびに、それを聞かれます。それで気付いたんですけど、難病の子どもの夢をかなえると聞いた時に「難病」という言葉に引っかかる人は、どんなにかわいそうかと思って1歩も動けない気がするんですね。私は脳天気だったので「夢をかなえる」というその言葉が、とても素敵でファンタスティックだと思って。しかも個別に。</p><p><br /><b><font color="#0000ff">　</font></b><b>福島</b>　でも、実際にいろいろと経験されてきて&hellip;。<br /><b><font color="#0000ff">　大野</font></b>　亡くなる子もいますし、いろんな時に辛かったり悲しかったりしますよね。でも、悲しいけれども、医者ではないから、何もできないんです。前半の「難病の」ということに対しては。「神様、なぜですか」とは聞きますけれどもね。<br />　だから、せめて後ろの「夢をかなえる」ですね。何もないままで亡くなるよりも、あの時あんなに面白かった、あんなに生き生きとしていた、ということが、子どもをずっと生かし続けていくことだと思うんですよ。病気で苦しんでいるだけじゃなくて、あの時あんなにキラキラ笑っていたよねっていう子どもが残りますよね、それは大きいと思う、すごく。</p><p><br /><b><font color="#0000ff">　</font></b><b>福島</b>　メイク・ア・ウィッシュの活動で、日本ならではの難しさなどを感じることはありますか。<br /><b><font color="#0000ff">　大野</font></b>　最初によくいわれたのは、やっぱり「1人の子にしてどうするの」というね。一家族に何十万もかけて1回だけ外国にいくよりも、それだけのお金があれば、もっとたくさんの子どもに使える。そういう反発がありましたね。</p><p><br /><b><font color="#0000ff">　</font></b><b>福島</b>　今はどうですか。92年から活動が始まり、年数も経ってきて。<br /><b><font color="#0000ff">　大野</font></b>　だいぶ変わりました。家族が家族で終わらないということを、そして、そこから大きな喜びが生まれるということを、ご理解いただけてきています。だって、たった1人のクリス君から16万5000人ですから。阪神大震災やいろんな天災などがあって、人の気持ちが少し変わってきたのかもしれないですね。</p><p><br /> <br /> <b>　福島　</b>大野さんは学生時代、劇団四季の研究所に所属し、お芝居に明け暮れていたそうですね。将来は芝居の世界に、という夢を持っていらっしゃったわけですよね。<br /><b><font color="#0000ff">　大野</font></b>　持っていました。今のようなミュージカル路線じゃない時代でしたから。浅利慶太さんに教えてもらったことは大きいですね。文化に対する思いであったり、そういうものが多分、どこか自分の中にあるんだと思います。</p><p><br /><b>　福島　</b>お芝居の道には進まないで、すぐにご結婚されましたね。4人のお子さんに恵まれて。ご主人のお仕事の関係でサンフランシスコにいかれたそうですが、その頃はどんな生活でしたか。<br /><b><font color="#0000ff">　大野</font></b>　すごい教育ママ。自分のいうことは間違ってないみたいに、子どもをビシビシと育ててね。元気で、エネルギーがあるんです。ちょっとのこともできないような人を見ると「いいよ、私がやるよ」って。<br />　優秀とまではいわないけれども、やればできると思っていたし、できない人を見ると、軽んじたりという思いがあったと思うんです。<br /><br />　でも、思ってもなく離婚したところからガラガラ崩れてきて。離婚して仕事を始めた時にあまりにできなくて。「えっ、私って実はこんなに常識を知らなかったり、書類の1枚も書けなかったり、そんな人間だったんだ」と。「今まで人のことを軽んじていたけれど、自分がわかっていないだけだったんだ」ということに気が付いた。それはもう天地がひっくり返るぐらいのショックでした。</p><p><br /><b>　福島　</b>そこから考え方が変わられたわけですね。<br /><b><font color="#0000ff">　大野</font></b>　変わりましたね。まず、子どもを怒らなくなった。これはこの子の人生だから、この子がやろうと思っていることだからと。自分の不出来さがわかったところから、キャパがものすごく広がった。いろんな人を見ても、偉いなと本気で思えるようになりましたし。</p><p><br /><b>　福島　</b>その経験が今の活動につながっている部分もおありですか。<br /><b><font color="#0000ff">　大野</font></b>　あります。それがなかったら、例えば手が遅いボランティアさんなんかにはピリピリきたりすると思うんですね。でも今は、全然そんなことを思わないですよ。「手弁当で交通費も自分で払い、1円もくれないところにきてくれている。その気持ちだけでもありがたい」って。<br /><br />　今までは目に見えるものしか、見えていなかったんですね。メイク・ア・ウィッシュでいろんな子どもと出会う中で、そのことがわかったんです。以前の私でしたら、病気の子どもを見た時に、かわいそうとか、こんな病気になったのは何が悪いのか、とか、そんなふうにしか見なかっただろうと思います。<br />　でも、病気は大変だけど、そのおかげで家族が本当に寄り添って密度の濃い、それはそれで幸せな時間を過ごしていることもあるんだ、ということがわかった。病気と闘いながらも夢を思い描く力があるということは、性格が明るいということなんです。その明るさは、病気という現実は変えられなくても、その子の日々の暮らしや周りの気持ちは変えていくだろうということですね。<br /><br />　そして、闘病生活が苦しくて絶望することがあったとしても、「あの時メイク・ア・ウィッシュのお姉さんが一緒になって喜んだよ」とか「プロ野球選手に会ったら、頑張れよっていってくれたよ」って思ったら、やっぱり立ち直ったり、もう1回踏ん張れると思うんです。こういうことは以前の私には見えなかったと思う、きっと。</p><p><br /><br /><b>「三日坊主の勧め」</b><br /><br /><b>　福島　</b>ボランティアと聞くと大変だし、やると決めたら自分の生活を犠牲にしてでも、と感じている方も多いと思います。でも、著書の中で、ボランティア活動をそう感じている人たちに「三日坊主の勧め」「売名行為の勧め」などと諭しています。これはどういうことなんですか。<br /><b><font color="#0000ff">　大野</font></b>　福島さんのおっしゃった通りの人たちなんだなあ、日本人は、と思ったからです。例えば外国人が手伝いにきてくれる場合、「もしもし、今新宿にいて1時間ぐらい時間があるんだけど、なんかできることない」ってフットワークがいい。<br />　それと比べて日本人は、「中途半端になったらかえってご迷惑だから」「月曜日から金曜日までいかなきゃいけませんでしょうか」「10時から5時まででしょうか」。そういう声をたくさん聞いた時に、その生真面目さが結局、1歩も進めないものにするんだと思ったんですね。それが「三日坊主の勧め」という言葉に出てきたんですけど。<br /><br />　それから「売名行為」はやっぱり最初は叩かれたですね、目立ちたがりということで。でも、目立たなきゃ、どうするんだよという。いいことはそのうち黙っていても広がるけれど、メイク・ア・ウィッシュでいうと、そのうち広がったのではメイク・ア・ウィッシュを知らないで亡くなる子もいるし、18歳を過ぎちゃう子もいるんです。<br />　だから1日でも早くみんなに伝えたい。そう思った時に「売名行為」という言葉が出てきたんですね。強烈な方がいいだろうと思って。</p><p><br /><b>　福島　</b>やっぱり生真面目なんですね、日本人は。やり始めたら、最後までやりとげなきゃいけないという。<br /><b><font color="#0000ff">　大野</font></b>　途中でやめたら根性なしとか、口先だけだったとかね。<br />　でも、口先だけでも、1日だけでも、やらないより、やってくれる方が助かるんです。</p><p><br /><b>　福島　</b>これからメイク・ア・ウィッシュを、どういう方向に展開されますか。<br /><b><font color="#0000ff">　大野</font></b>　財団になりたいんです。組織として今は任意団体なんですが、日本以外の国々は全部財団なんです。しかも、できれば税的な控除がもらえる公益法人になりたいです。</p><p><br /><b>　福島　</b>ハードルは高いですか。<br /><b><font color="#0000ff">　大野</font></b>　高いですね。何が高いかというと、なかなか公益という観点で見てもらえないことなんです。私たちから見たら公益でしかないだろうと思うんですけど。</p><p><br /><b>　福島　</b>これが公益でなければ何だろう、というぐらいの気持ちがしますよ。<br /><b><font color="#0000ff">　大野</font></b>　夢を申し込んでくる子どもの絶対数が少なかったり。例えば「がんの子供を守る会」は財団法人ですけれども、癌の研究など広く裾野を広げないといけないんです。うちのように夢、しかも一人ひとりっていうと、公益という概念に収まりにくいようです。まあ、今度制度が変わり、認定するのがお役所じゃなくて識者になるので、少しは変わるかなと思っているんですけど。</p><p><br /><br /><b>「誰かの役に立ちたい」との思い</b><br /><br /><b>　福島　</b>大野さんご自身、今はどんな夢をお持ちですか。<br /><b><font color="#0000ff">　大野</font></b>　やはり日本中の人にメイク・ア・ウィッシュのことを知らせたいですね。知らせて、いつでもきた時にすぐ応えられるだけのお金の力と人の力を持つ団体にしたい。<br />　しかもメイク・ア・ウィッシュと聞いた時に「ああ、いいな」って思われる団体になりたい。病気の子どもがメイク・ア・ウィッシュを知った時に、「こんなにラッキーなことがあったんだ」と思ってくれるようになりたいとすごく思っています。</p><p><br /><b>　福島　</b>そのためにも、どんな活動を重視されますか。<br /><b><font color="#0000ff">　大野</font></b>　特にやりたいと思っているのは、学校で子どもたちにメイク・ア・ウィッシュの話をすることなんです。あなたたちにも他人事じゃないのよ、と。<br />　例えば10万人に1人病気になる子どもがいるということは、残りの9万9999人はその子のおかげで10万分の1の確率から逃れられたわけです。その子のおかげであなたは10万人に1人にならなかった。でも、その子が自分の力だけじゃできないんだとしたら、残りの9万9999人はその子の手伝いをしても当たり前じゃないのと。</p><p><br /><b>　福島　</b>どうですか、その話を聞いた時の子どもたちの反応は。<br /><b><font color="#0000ff">　大野</font></b>　ものすごくいいですよ。私は確信を持つんですけど、私たちの中には「自分さえよければ」と思う気持ちがあるけれど、それに負けないぐらい「誰かの役に立ちたい」という気持ちが強い。それがDNAに組み込まれているって確信する。<br />　子どもたちから感想文がくると、みんなそのことを書いています。そういう気持ちがあるのだけれど、普段は引き出しの中に忘れていて、メイク・ア・ウィッシュに出合った時に出てくるんだと思う。</p><p><br /><b>　福島　</b>子どもたちの世代に浸透することで、活動が本当に日本でも根付くのでしょうね。<br /><b><font color="#0000ff">　大野</font></b>　やっぱりフェイス・トゥ・フェイスの種まきじゃないと。そうやって話すと、子どもの中に種として埋め込まれるのだと思います。その場では感想文を書くだけかもしれないけれど、何かの拍子に芽がないけれど、何かの拍子に芽が出る。そう信じています。             （敬称略）</p>]]>
        
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    <title>福島敦子のアントレプレナー対談 No.23</title>
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    <published>2008-06-03T10:35:35Z</published>
    <updated>2008-11-26T06:20:05Z</updated>

    <summary>電力業界の規制緩和  　福島　最初に電力業界の現状について教えてください。　松本...</summary>
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        <name>shanimu</name>
        
    </author>
    
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.shanimu.com/fukushima/">
        <![CDATA[<p><b class="contents14">電力業界の規制緩和</b><br /> <img height="7" width="1" alt="" src="http://www.shanimu.com/img/space.gif" /><br /> <img height="180" width="120" align="right" alt="福島敦子氏" src="http://www.shanimu.com/fukushima/img/fukushima23_02.jpg" /><b>　福島</b>　最初に電力業界の現状について教えてください。<br />　<font color="#0000ff"><b>松本</b></font>　日本に10社ある東京電力や関西電力などの大手電力会社は、一般電気事業者といいます。それ以外に、もっぱら発電を行ないその電気を一般電気事業者に売る会社。これを卸電気事業者といいますが、わが社はそこに位置づけられています。しかも東京電力の100％子会社ですから、そういう意味ではちょっと異質な会社かもしれませんね。</p><p><br /><b>　福島</b>　電力業界も規制緩和が進み新規参入や電気料金の自由化などで、競争が激しくなってきていると思うのですが。<br />　<font color="#0000ff"><b>松本</b></font>　確かに電力の自由化は、私どもにも大きな影響を及ぼしています。自由化によって電気料金にも競争原理が働きますから、今までのように法律で担保されたコストを見込んで価格を設定したビジネスができなくなる。市場で取引できる価格が求められるわけです。ですから東京電力とは契約更改の都度、おしくらまんじゅうをしながら電気料金を決めています。</p><p><br /><b>　福島</b>　子会社といえども「高かったら他から買いますよ」ということですね。<br />　<font color="#0000ff"><b>松本</b></font>　ええ。今の私どもは一般電気事業者にしか売れないんですよ。</p><p><br /><b>　福島</b>　2010年から法律が変わるんですよね。<br />　<font color="#0000ff"><b>松本</b></font>　よくご存じですね。2010年以降は、どこへでも電気を売れるという非常に自由な経営ができる。ですが、果たしてそこまで思い切って打って出られるかどうかは、極めて難しい部分でもあるんです。</p><p><br /><b>　福島</b>　マイクロ水力発電に乗り出されたのも、2010年以降に向けた新たな試みですね。<br /> <img hspace="5" height="180" width="120" vspace="5" align="left" alt="松本一紀社長" src="http://www.shanimu.com/fukushima/img/fukushima23_03.jpg" />　<font color="#0000ff"><b>松本</b></font>　おっしゃる通り。今までのように既存発電所の電気という商品をただ売っているだけですと、事業としての発展性がない。しかも電気料金が下がれば、ボリュームが変わらない以上、売り上げが落ちるだけです。そういう状況を、私どもの持っている力を他に展開することでカバーしようということです。</p><p><br /><b>　福島</b>　コストを抑えるといっても限界がありますね。<br />　<font color="#0000ff"><b>松本</b></font>　そうですね。この会社は50年以上も、既存設備を大事に使って親会社に電気を引き取ってもらう、非常に安定した経営が続いてきたんです。しかし、その状況は、仕事をやっている今の若い人たちにとってどうなんだろう、という疑問が湧きましてね。「これじゃいかん。何か自分たちのできることに、思い切って手を付けないと」ということで、発電をコアにいろんな事業を模索してきました。<br />　そして3年前なんですが、マイクロ水力発電事業の話がきましてね。東京電力グループ内のある会社がこの事業を持っていたのですが、事業として立ち行かない。で、当社で事業計画を徹底的に練り直しまして、うちがやれば極めて効率的なことが分かった。何とかいけそうだということで営業権を買い取ったんです。</p><p><br /><br /><b>マイクロ水力発電とは</b><br /><br /><b>　福島</b>　マイクロ水力発電は、まだ聞きなれない言葉です。一般に水力発電といいますと、川に大規模なダムを造って、CO2は出さないにしても、景観や環境に与えるダメージが大きいというイメージがあります。しかしマイクロ水力発電は、まったく違うということですが。<br />　<font color="#0000ff"><b>松本</b></font>　マイクロ水力発電というのは、元々きちんとした定義がないんですよ。ただの小規模水力発電をマイクロ水力発電と称していた程度なんです。そこで、わが社で定義づけましてね。基本的に「既存設備に付加して設置する発電所」をマイクロ水力発電としました。その上で&ldquo;Aqua &mu;（アクアミュー）&rdquo;という名前で商標登録をしました。</p><p><br /><b>　福島</b>　既存設備にプラスアルファするのですか。<br />　<font color="#0000ff"><b>松本</b></font>　分かりやすいのは、水道管です。あれにパイプ管を付けて水を通し、その水の流れで水車を回して発電機を回す。水道水は常に流れていますから、非常に安定した水力が使える。しかも、水道管は地下のトンネルの中に多いですから、そこに発電所を作れば景観も損ねず、音も洩れにくいわけです。発電の規模は小さいんですよ。今までのケースですと50〜350kWぐらい。だいたい100kWで、一般家庭200軒分ぐらいの発電量ですね。</p><p><b><br /></b><b>　福島</b>　大規模な水力発電所と違って、環境に与えるダメージがなく、しかも、元々存在していた水力を有効活用できるわけですね。<br />　<font color="#0000ff"><b>松本</b></font>　未利用のエネルギーを活用する、という点が大きなメリットです。ここへきて急激に設置件数が増えてきましてね。3年前に6カ所でスタートしたのですが、この3月末には13カ所まで増えました。</p><p><br /><b>　福島</b>　どういう法人からのニーズが多いのですか。<br />　<font color="#0000ff"><b>松本</b></font>　今は大部分が水道局です。スタート当初からターゲットをそこに絞って、提案してきた結果です。実際の運用では、必ずしもわが社が設備を作って保有するというケースだけではなく、相手さんが設備を持つことも可能なんです。この場合、出来上がった設備のメインテナンスは、私どもが責任を持ってやります、ということです。</p><p><br /><b>　福島</b>　相手がその設備を持つ場合は、そこで発電した電気は大手電力会社に売るわけですか。<br />　<font color="#0000ff"><b>松本</b></font>　これもいろいろです。自家消費といいますが、自分たちの設備で直接消費するケースと、東京電力にすべて送電し販売するケース、そして自家消費して余った一部を東京電力に送電し販売するケースと、だいたい大きく3つあります。</p><p><br /><br /><b>マイクロ水力発電への評価</b><br /><br /><b>　福島</b>　マイクロ水力発電には大きなメリットがあると思いますが、具体的にはどこを評価されたのですか。<br />　<font color="#0000ff"><b>松本</b></font>　これは直接聞いたわけではないのですけど。自治体は昔からクリーンエネルギーに取り組んできていたんです。まず皆さんが手を付けたのは風力発電ですね。クリーンエネルギーのPR効果も大きいということで。作るまではよかったのですが、あれは文字通り風任せなんです。事業性という面からいくと、極めて難しい設備なんですよ。せっかく作ったが、まったく収入にならない。設備のメインテナンスもままならず、結局は故障して止まっているというケースが少なくないんです。</p><p><br /><b>　福島</b>　ニュースでも伝えていましたね。税金の無駄遣いではないかと。<br />　<font color="#0000ff"><b>松本</b></font>　風の条件がよければ、ある程度の収入になっているケースもあります。しかし、クリーンエネルギーは何をやればいいか、迷っている自治体もたくさんある。そういう中で、私どもはタイミングがよかったんですね。マイクロ水力発電は未利用だった水力を使って、クリーンにエネルギーを発生できるということで、環境貢献のPR効果が非常に大きいんです。<br />　それから、もう1つ。これは私の想像ですけれども、例えば水道管を利用させていただくにしても、それに見合う果実をお返しできることが評価の1つだと思うんです。水道局さんからみると、自分たちの持ち出しは一切ないけれども、それに対する果実が毎年得られる。その自治体の中で1つの収入源を確保しているという意味での説得力といいますか、水道局全体の事業収支の中でプラスアルファ分として、そういう収入源があることのメリットが、大きいんじゃないかという気がします。</p><p><br /><b>　福島</b>　今は原油価格が高騰するなど、エネルギーコストがものすごく高くなっていますからね。マイクロ水力発電事業に取り組んでいるのは東京発電さんだけなのですか。<br />　<font color="#0000ff"><b>松本</b></font>　そうです。もちろん、いろんなメーカーさんが水車や発電機を作っていますから、メーカーに頼んで設置してもらい、電気を起こすことはできます。できますけれども、スタートから相談にのってメインテナンスまで、どういう形が一番いいのか、ご要望に合わせて進めさせていただける会社は私ども以外にはない。最適設計をどうやるか。どういう機器がいいか。あるいは各種規制に関する届け出申請など。こういったものまでをスムーズに進められる会社は、わが社ぐらいだと思います。</p><p><br /><b><br />老舗旅館の景観再生</b><br /><br /><b>　福島</b>　資料を拝見しましたが、伊豆の旅館「落合楼」（写真1）の自家発電機を再生されたそうですね。あちらもマイクロ水力発電を利用したのですか。<br />　<font color="#0000ff"><b>松本</b></font>　発電の規模からいくと、マイクロ水力発電ということになります。ただし、マイクロ水力発電とはわが社の定義でいけば、既存設備に発電システムを付帯すること。しかし、落合楼のケースは、廃止された発電所を再生したものです。しかも、川の水を堰き止めて発電し、その水をまた元の川に返しています。ですからマイクロ水力発電ではなく「再生事業」と位置づけています。</p><p><br /><b>　福島</b>　歴史のあるいい旅館だそうですね。<br />　<font color="#0000ff"><b>松本</b></font>　明治7年にできた旅館でして、国の有形文化財にも登録されています。かつては自家発電をしていたのですが、十数年前から放りっぱなしになっていたんです。それを何とかもう1回生き返らせられないかと。オーナーと最初にお話しした時に、何とかしたいと思ったんですよ。</p><p><br /><b>　福島</b>　どうして、そこまで強く思われたのですか。<br />　<font color="#0000ff"><b>松本</b></font>　オーナーが、昔の旅館の写真を持っていましてね（写真2）。昭和35年頃のものなんですけど、旅館の隣に川が流れていて、そこにボートが浮かんでいる。以前はそういう風景だったんです。なんてきれいな風景だって。しかし、平成16年当時は川が荒れ果てて、見る影もなかったんです（写真3）。<br />　オーナーは何としてもこの写真のイメージを回復したいと。私どももせっかく使われていた設備がそのままになっているのはもったいないと感じました。調査した結果、何とかなりそうだということで、発電設備に関わる部分だけを買い取ったんです。で、私どもが進めてきたマイクロ水力発電の技術を生かして再生に取り組みました。</p><p><br /><b>　福島</b>　こんなにきれいになるんですね（写真4）。びっくりしました。<br />　<font color="#0000ff"><b>松本</b></font>　再生前は魚が全然上がれなかったんです。それで、えん堤（ダム）を再生する際、魚の上がる道を2カ所整備しまして、今では鮎などが、どんどん俎上できるようになった。河川の環境を改善したという意味で極めて大きな意義がありましたし、廃止されたエネルギーの再生という新たな事業に取り組むこともできた。そして、旅館の方も、当時の景観に近いイメージを再生できた。<br />　この同じ思いで、これが出来上がったのですが、やはりオーナーの強い意志がなかったら、無理だったかもしれませんね。こういうスタイルの再生事業は、今年度も1つ完成させます。</p><p><br /><b><br />組織の活性化</b><br /><br /><b>　福島</b>　競争環境が厳しいとはいえ御社の場合、東京電力という大お得意様がいて安泰といえば安泰。にもかかわらず、松本社長はなぜ、そこまで急速に新事業を進めようという思いをお持ちになったのですか。<br />　<font color="#0000ff"><b>松本</b></font>　私は東京電力に入社して27年ぐらいずっと本社におりました。その後、事業所の責任者で出してもらったのですが、そこで感じたのは、会社を支えているのは現場の1人ひとりだということです。<br />　電気料金にしても、毎月集金にうかがわなければいけないお客様もいます。3カ月間未払いとなっている方とか、そういう所へも日参しないといけない。時には怖いお兄さんに脅かされたり、部屋に閉じ込められそうになりながらです。そういう現場の1人ひとりが、会社を支えていることを強く感じましてね。で、この会社にきても、まずは現場に出向き、徹底的に若い人たちとの懇談をやり始めたんです。</p><p><br /><b>　福島</b>　なるほど。その時の若い人の声は、やはり新しいことをやらせてほしいと。<br />　<font color="#0000ff"><b>松本</b></font>　出ないんです、それが。</p><p><br /><b>　福島</b>　出ないんですか。<br />　<font color="#0000ff"><b>松本</b></font>　全然。だから最初はちょっと強引だけれども、自分の考えをどんどん取り入れるしかないと突っ走ってきましてね。その結果、今は連中と話すとまったく違いますよ。青森にいきたいとか、火力の勉強がしたいとか。そういう話が飛び交うようになったんです。</p><p><br /><b>　福島</b>　組織がものすごく変わったということですか。<br />　<font color="#0000ff"><b>松本</b></font>　法制度が変わり、自由に商売できる時代がくる。その時に、自分たちの会社をどうしたいかを、自分たちで考えてくれと。それをまとめ上げて道筋を作るのは私の責任。だから、とにかくどうしたいかってことだけは出してくれと。現場の連中も含めたいろんな議論の結果が、今の新規事業に集約されたのだと思います。</p><p><br /><b>　福島</b>　東京電力というと官僚的な印象を持っていましたが、ずいぶんとイメージが変わりました。東電マンとしての松本社長は異色なんですか。それとも典型なんですか。<br />　<font color="#0000ff"><b>松本</b></font>　考え方は異色かもしれませんね。本部機構に長くいましたから、ある意味で金太郎飴的に見られるかもしれません。けれど、私自身は決してそうではないんじゃないかと思っています。　　　　　　（敬称略）</p>]]>
        
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    <title>福島敦子のアントレプレナー対談 No.22</title>
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    <published>2008-02-08T10:30:08Z</published>
    <updated>2008-11-26T06:28:51Z</updated>

    <summary>芸能界でできるシニア事業  　福島　まず、芸能プロダクションや番組制作の、業界の...</summary>
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        <![CDATA[<p><b class="contents14">芸能界でできるシニア事業</b><br /> <img height="7" width="1" alt="" src="http://www.shanimu.com/img/space.gif" /><br /> 　<b>福島</b>　まず、芸能プロダクションや番組制作の、業界の現状から教えてください。<br /><b><font color="#0000ff">　杉山</font></b>　 弊社は元々、番組制作会社としてやってきました。バブル期までは本当に景気がよく、多くのレコード会社さん、プロダクションさんがスポンサーに付いてくださいましてね。ところがバブルの崩壊で、軒並みスポンサーさんが降りてしまい、制作本数が3分の1ぐらいまで激減したんです。このままでは潰れてしまうという状態まで追い込まれました。何とか生き延びることを考えていた時に、タレント養成部門の話を頂戴したんです。<b><br /></b><br /> <img height="180" width="120" align="left" alt="福島敦子氏" src="http://www.shanimu.com/fukushima/img/fukushima22_02.jpg" />　<b>福島</b>　外から話を持ちかけられたんですか。<br /><b><font color="#0000ff">　杉山</font></b>　 そうなんです。最初は、ある会社がタレント養成学校を設立するので、うちの看板を貸してくれないかと。しかし、その学校がスムーズにいきませんでしてね。結局、300名の生徒さんをうちで引き取ることになったんです。そのために養成学校がどういうものかを1から勉強しなくちゃいけない。全国を飛び回って、いろんな学校のやり方を勉強させていただきました。そうやって弊社の養成部門である「バーディタレントセンター」ができたんです。</p><p><br />　<b>福島</b>　今話題のシニアタレント養成に進出したきっかけは。<br /><b><font color="#0000ff">　杉山</font></b>　 最初はジュニアが中心だったんですが、やはりジュニアの老舗といわれる劇団ひまわりさんや東俳さんなどにはかなわない。しかも、ものすごく手間がかかるんです、子どもは。保育園児と同じ3〜5歳ですから、レッスン中に喧嘩はします、おもらしはします、泣きだしもします。しかも、お母様が必ず付いてこられ、いろいろと注文を付けてきます。それでジュニアはきっぱり止めて、13歳以上にしたんです。そうしますと、応募者の中に40歳以上の方がぽつぽつ入ってくるようになったんです。しかも、番組制作会社からのオファーも「40〜50代でこういうキャラクターの人はいませんか」という要望が出てきたんです。</p><p><br />　<b>福島</b>　それまでシニアのリクエストは、あまりなかったのですか。<br /><br /> <img hspace="5" height="180" width="120" vspace="5" align="right" alt="杉山葉子社長" src="http://www.shanimu.com/fukushima/img/fukushima22_03.jpg" /><b><font color="#0000ff">　杉山</font></b>　 ええ。多分、バブル崩壊で私どもと同様、他の制作会社さんも番組制作費を削られたんでしょう。今までは中堅の役者さんを起用していたのが、無名でも実力のある方に切り替えてギャラを抑える。きちんと演技ができ、セリフがいえれば無名でもいいわけですから。</p><p><br />　<b>福島</b>　それは一般のシニアの方にとってチャンスですね。<br /><b><font color="#0000ff">　杉山</font></b>　 昔と違って今のシニアは若いですし、多分、これからの人生の方が長いですよね。男性でしたら、これまでは家族のためにお仕事を頑張ってきた方がほとんど。女性も旦那様やお子様のために、汗水たらして生きこられたと思うんです。そういうものが手を離れた時に、「今後、何をしたらいいんだろう」と考えると思うんです。私どもの研修生に聞いても、「親御さんに反対された」「生活のための仕事を選んだ」という方がほとんど。でも皆さん、これからの人生は「自分のために時間も経費も費やして、自分自身が輝きたい」とおっしゃっています。<br />　私自身も、これからはシニア産業がものすごく発展していくんじゃないかなと。で、この芸能界でできることって何だろうって。その時にシニアタレントというのが、頭をよぎりましてね。そういう応募もぽつぽつきていましたし「じゃあシニアだけの募集広告を打ってみよう」ということで始まったんです。</p><p><br /><b><br />セリフのもらえる役者を育成</b><br /><br />　<b>福島</b>　スポットライトを浴びたいという欲求は、人間誰しも多少は持っているのでしょうね。<br /><b><font color="#0000ff">　杉山</font></b>　 皆さん、表には出さないんですけどれも、根底には持ってらっしゃいますね。それを引き出してあげるのが私たちの役目。応募者の中には、本当に演技をやりたいという方と、通行人Aでもいい、という方がいます。後者はエキストラというジャンルになるんですが、私どもはエキストラのお仕事はお断りをさせていただいており、一言でも二言でもセリフのある役者を育てることを目的にしています。<br />　私どもへお入りになったら、まず4カ月間は発声、滑舌（かつぜつ）、ストレッチなどの基本や身体を動かしてリズム感を養っていただく。そして5カ月目から専門的なセリフ、表現力、演技力の勉強をしていただき、早い方で半年経ってからお仕事のプロモートを始める。そういうカリキュラムですので「これについてこられないと難しいですよ」ということを申し上げています。</p><p><br />　<b>福島</b>　研修できちんと訓練をして、そういうことができる人を育てる。<br /><b><font color="#0000ff">　杉山</font></b>　 セリフを多くいただける役者さんを1人でも多く育てることを目的にしているので、レッスンに卒業はありません。</p><p><br />　<b>福島</b>　仕事がきても、レッスンは常に続くわけですね。<br /><b><font color="#0000ff">　杉山</font></b>　 そうです。当然その中で、長くいらっしゃる方は月謝も値下げをしていく。それと、昇格があるんです。私どもでは入ったばかりの方は研修生、優秀な方は準特待生、そして特待生、契約タレントと昇格します。昇格に従い経費も軽減され、契約タレントになれば一切経費はかからないシステムです。</p><p><br />　<b>福島</b>　特待生以外は月謝をずっと払い続けるんですか。<br /><b><font color="#0000ff">　杉山</font></b>　 研修生でいるうちは、そうです。ただ、研修生でもお仕事はしていけるわけですから、その分のギャラはお支払いしますし、ご自分の月謝分ぐらいは稼いでいる方も少なくありません。<br />　ずっとレッスンし続けることの意味は、再現ドラマなどの主役級になりますと、本当のドラマを演ずるぐらいの演技力が必要になるからです。仕事をすればするほど高度な技術を要求されますから、それに見合ったレッスン内容にしなくてはいけない。入った年数に応じて演技のレベルもどんどんアップしていく。現場のいろんな状況に対応できるレッスン内容にしています。</p><p><br />　<b>福島</b>　仕事があるのが何よりですが、それ以前の部分で、研修生にとってはどんどん自分が変わっていくことが新鮮かもしれませんね。<br /><b><font color="#0000ff">　杉山</font></b>　 正しくその通りで、周りの方たちにいわれるそうなんですよ。「お母さん、いきいきしてるね」と。身体を動かすので、シェイプアップもされてきますし。<br />　それと同じクラスには、同じ夢と目標を持った同年代の人が集まっているわけですから、レッスンが終わった後に皆さんでお茶を飲みにいったり、食事にいったり。ここへくると全部開放される。その上でお仕事ができることが、リフレッシュになるんですね。</p><p><b><br /><br />夢はホール付き自社ビル</b><br /><br />　<b>福島</b>　受け入れるバーディ企画さんからすると、月謝をきちんと払ってもらい、お仕事があればマネージメント料30%を受け取れる。変動の激しい業界で、安定経営を実現できる方策ですね。<br /><b><font color="#0000ff">　杉山</font></b>　 正直な話、シニアは若い人たちよりも豊かですからね。若い人だと催促しなくちゃ払わなかったり、分かっていても払わなかったり、払えなかったり。シニアの方は期日前に入金いただける。自分のやりたいことのためには、時間も経費も惜しまない方が多いと思います。</p><p><br />　<b>福島</b>　このビジネスモデルは、杉山さんが企画したわけですよね。結果的にターゲットが富裕なシニア層になっていることも重要ですね。<br /><b><font color="#0000ff">　杉山</font></b>　 そうですね。応募者の中にはリストラされて職がみつからず、うちの募集広告を見て「これだったら食べていけるんじゃないか」と。</p><p><br />　<b>福島</b>　そういう方もいるんですか。<br /><b><font color="#0000ff">　杉山</font></b>　 ええ。ですから「この道で食べていくにはそれなりの時間と投資が必要」ということを、はっきり申し上げています。すぐに食べていけると思ったら大間違い。それだったら、きちんとしたお仕事をお探しになった方がいいですよと。自分の夢を実現するには、まず生活基盤をしっかりさせることが重要だと思うんです。夢や目標は大きく持っていただきたいのですが、そのためにはやはり、月謝を自分自身への投資と思ってやっていただかないと。投資した上で自分が稼げるようになるわけですから。</p><p><br />　<b>福島</b>　バーディさんの売り上げの中で、シニア関連の割合は？<br /><b><font color="#0000ff">　杉山</font></b>　 総売り上げの約50％は月謝やその関連経費ですね。残りの25％が番組制作、25%がマネージメント料。ですから、私としてはマネージメント料の割合をもう少し高めたい。そのためにも1万円のお仕事ができる人よりも、10万円のギャラをいただける人を増やすことが重要なんです。それと、私自身も番組で育った人間の1人として、やはり番組制作を増やしたいですね。<br />　後は、私の代で実現できるかどうか分かからないんですが、やはり自社ビルがほしいですね。今は、発表会などはホールを借りています。公的な施設はお安いのですけれど、1年前の予約だったり抽選だったりと、希望の日時に借りられないことが多い。ですから常設のステージやレッスンスタジオのあるビルを持つことが目標です。<br />　レッスンだけをしていても駄目なんですよ、こういうものは。人前で見せることで成長する。そういう場を増やしてあげたいんです。</p><p><br /><b><br />16歳から芸能界一筋</b><br /><br />　<b>福島</b>　杉山さんは16歳で日劇ダンシングチームに入られてから、芸能界一筋ですよね。芸能界への憧れが強かったんですか。<br /><b><font color="#0000ff">　杉山</font></b>　 全然なかったです。貧しい家に生まれたものですから、とにかく早く自分で稼げるようになりたかった。お金の苦労はもうしたくないって。高校受験に失敗して悩んでいた時に、たまたま日劇ダンシングチームの募集広告があったんです。母が「受けてみたら」って。母は大好きだったんですよ、レビューとか。</p><p><br />　<b>福島</b>　踊りなどの経験は？<br /><b><font color="#0000ff">　杉山</font></b>　 何もやっていませんでした。でも「未経験者可」だったんです。1からレッスンを受けられ、手当までいただける。魅力的でしたね。</p><p><br />　<b>福島</b>　入団試験は難しかったんじゃないですか。<br /><b><font color="#0000ff">　杉山</font></b>　 水着審査があって、歩かされたり、ちょっとリズムに乗ってステップを踏まされたりとか。それで、何か受かってしまったんですよ。運がいいんです。通常は20〜30名しか採らないのですが、その年は建て替えた帝国劇場のこけら落としの年だったので、通常の倍を採用したんです。春に入団して、本来は秋が初舞台なのですが、私は夏に帝劇のこけら落としで初舞台を踏ませていただきました。</p><p><br />　<b>福島</b>　ご両親も、よくご覧にこられたんですか。<br /><b><font color="#0000ff">　杉山</font></b>　 母はもう毎回見にきて、1日3回公演だと3回見て帰る。「杉山さんのお母さん、また見てるよ」って、先に出た人がいうんです。席を変えて前だったり、後だったり。</p><p><br />　<b>福島</b>　元々お好きだったということですから、愛娘がその舞台に立つというのは、どれほどうれしかったことでしょうね。<br /><b><font color="#0000ff">　杉山</font></b>　 それが唯一の楽しみだったのかなとも思います。結局足かけ7年ぐらい日劇におりました。ただ、井の中の蛙ですから、宝塚などと違って、日劇は潰しがきかない。演技もやっていませんし。このまま日劇しか知らないで家庭に入ってしまうのも、つまらないしもったいない。何か違う世界を知りたいと思いました。また、そこまでやっていても、いただくものも限られていましたしね。舞台を踏みながらも、アルバイトを続けていましたから。</p><p><br />　<b>福島</b>　そこで三越ファッションシスターズへ転身。<br /><b><font color="#0000ff">　杉山</font></b>　 当時、すごく話題になったんですけれども、要は三越の専属モデル兼コンパニオンですね。その募集広告があったんです。その当時でお給料50万円。</p><p><br />　<b>福島</b>　すごいですね。<br /><b><font color="#0000ff">　杉山</font></b>　 「えっ！」と思ってオーディションを受けるだけ受けてみたら、これも運よく受かりましてね。でも、ファッションシスターズはモデル、着せ替え人形なんです。「はい、これ着て。これ着て」という。それに満足できなかったというか。お給料はいいんだけれども、まだその当時は歌手になる夢がありましたし。<br />　あるレコードディレクターの方が、歌をやりたいんだったらと紹介してくださったのが、今のうちの会長（バーディ企画創設者・栄慈郎氏）なんです。さっそくオーディションを受けたら「歌はプロとして通用しない」と一蹴されました。でも、声がラジオに向いてるといわれましてね。たまたま会長が、番組制作会社の立ち上げを計画中で、そこに役員兼ラジオパーソナリティーとして参加することになったんです。</p><p><br /><br /><b>常に明るく、若々しく</b></p><p><br />　<b>福島</b>　今は経営者という、新しいステージに立たれたわけですが、どうですか。女性経営者ならではの苦労とか、メリットはありますか。<br /><b><font color="#0000ff">　杉山</font></b>　 一般の経営者がなさる資金繰りなどの苦労はありますよ。それ以外の苦労は、そんなに感じていないですね。反対にメリット的な部分は、やはり女性ならではの男性にはないソフトさを出せることだと思うんです。人が人を管理して、その人を売る商売ですから。例えば現場でぎくしゃくしているディレクターさんに「うちのタレントを使ってください」とお願いする時も、男性より女性の方が当たりが柔らかいでしょう。研修生を指導する際も、男性が頭ごなしにバンバンというよりも、女性が真綿でくるんだ言葉でいってあげると、シニアの方のプライドを傷つけないとか。</p><p><br />　<b>福島</b>　経営者として心がけていること、大切にされていることはいかがですか。<br /><b><font color="#0000ff">　杉山</font></b>　 やはり夢を売る商売ですし、タレントにいつまでも若々しく、美しくいなさいという立場ですから。まず私自身が汚くなってはいけないし、生活の匂いをさせてはいけない。いつも笑顔でいなくちゃいけない、追い込まれて四苦八苦していても、それを顔に出しちゃいけない<br />　それと、思いやりと優しさを大事にしています。これはDJをやっていて学んだことなんですけれども、ラジオはどこでどういう人が聞いているか分かからない。例えば映画の話をするにしても、「この映画はこうで、女優さんがこういうファッションをして、これがものすごくよかったんですよ」と具体的に話さないといけません。「あの女優さんのファッション、よかったね」で終わってはいけないわけです。しゃべるということは、聞いている人への思いやり。そういう気持ちで話さなくてはいけないということを学んだのですが、それは会社経営も同じだと思います。</p><p><br />　<b>福島</b>　まだ女性の経営者は少ないですけれども、後に続く女性たちにメッセージをお願いします。<br /><b><font color="#0000ff">　杉山</font></b>　 恐れ多いです。まだまだ未熟ですから。経営者としてもまだ勉強中の身ですので。実は、LBA（Ladies<br />Business  Owner&rsquo;s  Association）という女性のオーナー経営者の勉強会に入っているんです。様々な業種の方がいらっしゃって、私は若手なんですよ。皆さん大先輩で60過ぎ、70近い方がまだ現役でやってらっしゃって。私は皆さんの歳までやっていられるのかしら、と思ったりするんですけれど。</p><p><br />　<b>福島</b>　いろんな意味で、よい刺激を受ける場ですね。<br /><b><font color="#0000ff">　杉山</font></b>　 芸能界も今でこそ女性経営者が増えましたが、私が芸能界に入った頃は渡邊美佐さん（渡辺プロダクショングループ代表）が業界のカリスマ的な存在。憧れました。今、ありがたいことに音楽出版社協会（渡邊氏が名誉会長を務める文科省認可の社団法人）で、アシスト的なことをさせていただいており、たくさんのことを教わっています。</p><p><br />　<b>福島</b>　渡邊美佐さんにはお会いしたことがあります。本当にエネルギッシュで、お若く見えますよね。<br /><b><font color="#0000ff">　杉山</font></b>　 さすがに第一線でずっと活躍し続けている方。オーラがありますよね。私も一歩ずつでも近づくことができるように、もっともっと勉強します。（敬称略）</p>]]>
        
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    <title>福島敦子のアントレプレナー対談 No.21</title>
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    <id>tag:www.shanimu.com,2007:/fukushima//4.32</id>

    <published>2007-11-10T10:10:30Z</published>
    <updated>2008-11-28T05:28:37Z</updated>

    <summary>こんなにいい商売はない  　福島　松村社長は、学生の頃から外食産業で起業したいと...</summary>
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        <![CDATA[<p><b class="contents14">こんなにいい商売はない</b><br /> <img height="7" width="1" alt="" src="http://www.shanimu.com/img/space.gif" /><br /> <b><br />　福島</b>　松村社長は、学生の頃から外食産業で起業したいとの思いを、持っていらしたそうですね。<br /><b><font color="#0000ff">　松村</font></b>　起業は大袈裟ですが、飲食で生きることを決めたのは、学生時代にサイゼリヤさんでバイトをしてからですね。</p><p><br /><b>　福島</b>　どこに魅力を感じたのですか。<br /><b><font color="#0000ff">　松村</font></b>　サイゼリヤさんは、今や誰でも知っているファミリーレストランですが、当時はまだ10店舗ほど。僕が働いていた店はものすごい繁盛店で、夕方5時に店を開けるとすぐに行列ができました。「おいしい」とか「安い」とか「またくる」とか、4年間いわれ続けたんです。こんなにいい商売はないと思い、この世界で生きていこうと決心しました。</p><p><br /><b>　福島</b>　でも、卒業後はディスコ運営の会社に入られましたよね。<br /> <b>　</b><b><font color="#0000ff">松村</font></b>　サイゼリヤさんは厳しくコストを管理して、安く提供することを基本コンセプトとしています。素晴らしいと思うのですが、だったら逆に、設備投資した業界を経験したいと思ったのです。まだバブルがはじける前でしてね。ディスコやライブハウスなど、内装にかなりのお金をかけた店がはやっていました。だから当時、ディスコを展開していた日拓エンタープライズさんに入社したんです。</p><p><b><font color="#0000ff"><br /></font></b><br /> <img height="180" align="right" width="120" alt="福島敦子氏" src="http://www.shanimu.com/fukushima/img/fukushima21_02.jpg" /><b>　福島</b>　そこでは、どんなことを吸収されたのですか。<br /><b>　</b><b><font color="#0000ff">松村</font></b>　基本的には販促です。ディスコというのは、タダでもいいから満員にならないと成り立たない。雰囲気が出ないんですよ。どう集客するかを常に考えていましたね。イベントを打ったり、リリースを送ったり、マスコミに電話をかけたり。常に取り上げてもらう工夫をしていました。それが今、非常に役立っています。</p><p><br /><b>　福島</b>　すごいアイデアマンで、次々とヒット企画を手がけたそうですね。<br /><b>　</b><b><font color="#0000ff">松村</font></b>　それはちょっと自信ありますね。</p><p><br /><b>　福島</b>　アイデアは、どういうところから湧いてくるのですか。<br /><b>　</b><b><font color="#0000ff">松村</font></b>　今はですね、同業他社を見にいったり、映画を見たり。雑誌もよく読みますね。女性誌はほとんど読んでいます。そして、気になったことを書き留めたり、写真に撮ったりと、後で活かそうということをいつも考えています。</p><p><br /><b><br />この業界なら勝てる！</b><br /><br /><b>　福島</b>　ディスコの会社に、ずっと勤めようとは思わなかったのですか。<br /><b>　</b><b><font color="#0000ff">松村</font></b>　27歳で結婚した時に「こんなことを続けていても駄目だな」と思い、28歳になってすぐに独立しました。</p><p><br /><b>　福島</b>　「駄目」というのは？<br /><b>　</b><b><font color="#0000ff">松村</font></b>　実家は商売をしており、家内の実家も商売人なので、やっぱりそれが自然な流れだったと。「独立して当たり前」みたいなところがあるんですよ。</p><p><br /><b>　福島</b>　そうですか。でも、最初は外食ではなく日焼けサロンですよね。<br /><b>　</b><b><font color="#0000ff">松村</font></b>　考え方が甘かったんです。サラリーマン時代は店長として結構いい成績を出したわけですよ、繁盛店を作って。その実績でお金を貸してくれると思い込んでいた。ところがまったく借りられない。<br />　担保とか連帯保証人とか、そういうことを知らなかった。無知なわけです。「これはまずい。方向転換だ」ということで飲食店を諦めました。まずは実績を作らなければいけないし、何か低資金でできないかと。で、実は当時、日焼けサロンに通っていたんです。</p><p><br /><b>　福島</b>　ご自身がいってらした。<br /><b>　</b><b><font color="#0000ff">松村</font></b>　いってたんですよ、お恥ずかしい話（苦笑）。当時の日焼けサロンは、従業員の態度がめちゃくちゃ悪い。渋谷のチーマーみたいな男の子が店番をしていて、何語で話しているのかも、よくわからない。挨拶もできない。これを見て「この業界なら勝てる」と思ったんです。</p><p><br /><b>　福島</b>　そんなお店ばかりだったのに、お客さんは結構多かったのですか。<br /><b>　</b><b><font color="#0000ff">松村</font></b>　ちゃんとした店がなかったからです。焼きたい人はいっぱいいるのに、店がない。「マシンを置くから、後は勝手に店番していろ」というオーナーばかりだったんでしょうね。これだったら勝てるということで、親戚からお金を借り、12坪の店を池袋に作りました。自分で店に立って、しっかりと挨拶をして、店を奇麗にして。これはあった方がいいということは、全部やりました。すぐに大ヒットですよ。しかも、「ガングロ」ブームがきた。それにも乗って、相当儲かりました。</p><p><br /><b>　福島</b>　大繁盛して、お金も短期間で貯まったわけですね。<br /><b>　</b><b><font color="#0000ff">松村</font></b>　坪数は知れていますけれど、6年間で4店舗まで増やしました。お金も貯まり、信用も少しはついた。銀行が融資してくれることになったので、そろそろ飲食店をやろうかということで、2001年、銀座に1号店をオープンしたんです。</p><p><br /><b>　福島</b>　もし、最初に独立した段階で銀行融資を受けられていたら、すぐに飲食店を始めていましたか。<br /><b>　</b><b><font color="#0000ff">松村</font></b>　やっていましたね。逆にいえば、それがなかったからよかった。6年の充電期間があったので、経営のこともわかったし、お金の流れも少しはわかった。飲食業の変化もずっと見ていたので、それでいいスタートが切れたんです。</p><p><b><br /><br />ライバルは渋谷「109」</b><br /><br /><b>　福島</b>　1号店は銀座「ヴァンパイアカフェ」。いきなり銀座というので、ちょっとびっくりしたんですけれど。<br /><b>　</b><b><font color="#0000ff">松村</font></b>　ここがポイントですね。例えばタリーズさんやスターバックスさん、マクドナルドさんは、すべて銀座がスタートです。餅は餅屋じゃないですけど、やっぱりやるならどこっていうのがあるわけです。ディスコなら六本木、メイド喫茶なら秋葉原とか。レストランはやっぱり銀座なんです。マスコミの取り上げ方もまったく違う。ただし、銀座は敷居が高いわけです、本当に。</p><p><br /><b>　福島</b>　そうでしょうね。お金もかかるし。<br /><b>　</b><b><font color="#0000ff">松村</font></b>　お金もかかるし、大家さんが固い。「この若造は」って感じなんです。最後の最後で見つけた物件も、最初はなかなかOKしてくれなかった。一度は心が折れそうになって「まあいいか。板橋ぐらいに出そうか」とも思ったんです。でもやっぱり、初心を忘れちゃいけないということで粘りましたね。</p><p><br /><b>　福島</b>　成功したヴァンパイアカフェの2号店、3号店という発想は？<br /><b>　</b><b><font color="#0000ff">松村</font></b>　ないです。チェーンの方がいいという意見もたくさんありましたが、これは僕らの使命だからやり切るしかないと。</p><p><br /><b>　福島</b>　1業態1店舗を多店舗展開する「個店主義」は、最初からずっと温めていたアイデアだったのですか。<br /><b>　</b><b><font color="#0000ff">松村</font></b>　　しばらくは、特に考えもなく好きな店を作っているだけでした。しかし、5店舗目に出した赤坂「黒提灯」という居酒屋が大ヒットした時に、個店主義でいこうと決心しました。僕らには、業態を作る能力があることを確信したからです。みんなが心配したフレンチレストランの居抜き物件を、低資金で繁盛店に変えたわけですから。自信ありましたね。</p><p><br /><b>　福島</b>　お店の個性が強いから、1つの店舗だけを見ると、飽きられるのも早いのでは、とも思えますけど。<br /><b>　</b><b><font color="#0000ff">松村</font></b>　よくいわれます。ヴァンパイアカフェもオープンした時は、みんなにいわれました。今7年目なんですが、売り上げはいまだに前年対比で伸びています。オープン時のメニューはもうありませんし、常にイベントなどでブラッシュアップしているからです。しかも、銀座にしかないので陳腐化しにくい。これが新宿、渋谷、池袋とあったら、もう終わっていたでしょうね。僕は、ライバルはどこかと聞かれると「飲食業にはいない。僕らのライバルは渋谷の109だ」と答えています。</p><p><br /><b>　福島</b>　109？<br /><b>　</b><b><font color="#0000ff">松村</font></b>　109というファッションビルの中には、いろんなファッションブランドがあるじゃないですか。僕らもダイヤモンドダイニングという箱の中に、いろんなレストランや居酒屋があるというスタイル。だから戦略は一緒だといっています。</p><p><br /><b>　福島</b>　業態のアイデアが枯渇したらとか、そういう不安はないですか。<br /><b>　</b><b><font color="#0000ff">松村</font></b>　僕一人だったら多分あると思うんですよ。でも、今はチームで動いているので大丈夫です。常に40業態ぐらいをストックしています。そして、出店場所をマーケティングして、ここでやるぞと決めた瞬間に、この40の中からあれば出しますし、なければ作ります。この繰り返しです。全然枯れないですね。</p><p><br /><b><br />「立地ありき」の業態開発</b><br /><br /><b>　福島</b>　業態開発では、どこにポイントがあるのですか。<br /><b>　</b><b><font color="#0000ff">松村</font></b>　外食企業は流通とオペレーションの2つが重要ですが、ここをどう考えるのかです。例えば、うちには300種類以上の本格焼酎を揃えた「竹取百物語」という店があります。これは大手にはできない。なぜならチェーン全店分の300種類もの焼酎を、常時確保できる流通がないからです。欠品などが必ず出る。個店じゃないと無理なわけですよ。<br />　一方、オペレーションというのは、店をスムーズに回すための仕組みです。オペレーションを考える場合、扱う商品が多くなればオペレーションが難しくなる。絞った方が楽なわけですね。でも僕らが店を作る時、そこはまったく考えない。だから焼酎が300種類ある店、梅酒が100種類ある店、ベルギービールが100種類ある店というのを作れる。で、作った後に流通、オペレーションを整えます。そこが大手との違いです。</p><p><br /><b>　福島</b>　作った後で整える方が、はるかに難しいですよね。<br /><b>　</b><b><font color="#0000ff">松村</font></b>　難しいです。でも、先にオペレーションを組み立てると、つまらない店にしかならない。だから僕らが勝てるんです、はっきりいって。</p><p><br /><b>　福島</b>　画一的なチェーン展開は、もはや受け入れられない時代だと。<br /><b>　</b><b><font color="#0000ff">松村</font></b>　ファーストフードは別ですが、アルコールも提供する重飲食では、チェーン店はもう無理だと思っています。飲食業というのは、基本的には全部個店なんです。そこをみなさん、間違っておられる。銀座で1店舗当たったからといって、それを渋谷に出すのは大間違い。銀座と渋谷はマーケットが違う。銀座の中でさえ、道を1本隔てるとマーケットが異なる。にもかかわらず、みなさん、店ありきで出店している。<br />　僕らの出店はあくまで立地ありき。立地を決めたら、そこを徹底的にマーケティングします。その街にどういうニーズがあるか、どういうお客様が多いか、客単価いくらの店がヒットしているか、どういう店があったらいいのにないのか、などを徹底的に調べて、それに合った店を作ります。その違いです。</p><p><br /><b><br />従業員に3つの約束</b><br /><br /><b>　福島</b>　チェーン展開のよさは、食材の一括大量仕入れや、設備の統一などによるコスト削減効果ですよね。その点、個店主義は割高になる部分もあると思うんですけれども。<br /><b>　</b><b><font color="#0000ff">松村</font></b>　業態は違っても、野菜や肉、調味料など、基本的な食材の8割は全店共通。一括仕入れが可能です。割高な部分も確かにありますが、逆に自由が利くんですよ。例えば台風で野菜が高騰した場合でも、チェーン店はメニューの料理を簡単には変えられない。だから原価が上がる。でも、僕らはその野菜をはずせばいい。1店舗しかないですから。<br />　食の安全にしても、例えば狂牛病が発生すると焼き肉チェーンや牛丼チェーンは大打撃ですよね。でも、僕らはメニューからはずすだけでいい。あるいは業態を変えるだけですから楽です。</p><p><br /><b>　福島</b>　コスト高かもしれないけれども、リスク低減という大きなメリットがある。<br /><b>　</b><b><font color="#0000ff">松村</font></b>　コストも下げられるんです。例えば団体客が当日キャンセルになる場合もあるじゃないですか。大手だったらメニューをいじれないから、その食材を腐らすしかない。でも僕らは現場の裁量で、その食材をお通しなどに転用できる。だから、本当にロスが少ない。原価率は大手より低いですよ。</p><p><br /><b>　福島</b>　確かにFLコスト（原材料費+人件費）率は50%以下。通常の外食企業は60〜65%ぐらいだそうですね。<br /><b>　</b><b><font color="#0000ff">松村</font></b>　そうです。僕は従業員に3つの約束をしています。「お客様を喜ばす」「コンセプトをはずさない」「予算に基づいて適正な利益を上げる」。この3つを守れば何をやってもいいと。好きな食材を発注し、好きな料理を作って、好きな料理名を考えて、好きな盛り付けをして、好きな音楽をかけて、好きなものを着ていいといってるんです。<br />　彼らは自由だって喜ぶんですけど、それは間違い。人間1番楽なのは、マニュアルを遂行するだけで、考えなくていいこと。自由を与えられた瞬間、お客様の要求以上のものを提案しなきゃいけなくなる。そのためには常にインプットが必要だから大変なんです。でも、自分で考えたメニューを具現化し、お客様においしいといわれたら1番うれしいわけですね。だから、辞めないですよ、従業員は。</p><p><br /><b>　福島</b>　辞めない。<br /><b>　</b><b><font color="#0000ff">松村</font></b>　辞めない。裁量を持たせているから。僕は、料理はクリエイティブなものなので、日々変わっていいと思っています。今日の仕入れでメニューが少し変わるのは当然だし、盛り付けが変わるのも当然だと。そこは彼らに任せています。</p><p><br /><b><br />「今」を100％やるしかない</b><br /><br /><b>　福島</b>　企業理念に「お客様歓喜」を掲げていますね。今は豊かな時代ですし、少々おいしいものを食べたぐらいでは、簡単には感動しない。そういう中でお客様歓喜を実現するのは、相当難しいようにも思えますが。<br /><b>　</b><b><font color="#0000ff">松村</font></b>　それでも、そこにいかないと生き残れない。僕は会社のコンセプトを「おもちゃ箱」だといっていますが、とにかくワクワク・ドキドキさせたい。確かにデパ地下などもおいしいですが、そこへ寄らずにうちにきていただく。そのためには本当に歓喜させるしかないということで、いろんな工夫を凝らしています。</p><p><br /><b>　福島</b>　メニューだけではなくて。<br /><b>　</b><b><font color="#0000ff">松村</font></b>　例えば店名は「ベルサイユの豚」や「魚頭健蔵」、「オペラハウスの魔法使い」などと覚えやすさとインパクトを重視しています。DMやWeb、メニューブックや箸袋なども各店ごとに、社内のデザイナーが遊び心を意識して作成。そうしないと僕らの存在意義がないと思っています。</p><p><br /><b>　福島</b>　人材育成については、どんな考えをお持ちですか。<br /><b>　</b><b><font color="#0000ff">松村</font></b>　裁量を持たせ、よくいえば自由、悪くいえば投げっぱなしってやつですね。本当に経験させるしかないと思っています。僕は社員に「挑戦しろ」ということをよくいいます。挑戦の先には成功か、もしくは経験しかない。大きい挑戦の先には大きい経験と大きい成功しかない。やらないことが1番「無」ですから、何もない。とにかくチャレンジしろと。<br />　また、物事を先送りするな、ともいっています。将来というのは「今」の連続でしかないわけですから、今を頑張れなければ絶対に将来もない。今！、今！、今！の連続だと思って、今を100%やるしかないといっています。</p><p><br /><b>　福島</b>　先ほどの「3つの約束」でも感じましたが、社員の方は勤めてはいるけれど、独立しているような状態なのでしょうね。好きなことをやれるという意味で。<br /><b>　</b><b><font color="#0000ff">松村</font></b>　「強い信念と誇りを持っていけ」ということです。もう、やり切るしかないと思っていますね。人間は弱いので、例え夢があったとしても、やっぱり逃げるのは、弱い自分自身だったりするわけです。「もういいか」と思ったりして。だから、やり切るしかない。それには、強い信念を持つしかないんですね。</p><p><br /><b>　福島</b>　ご自身がやり続けられる、その原動力は何なのですか。<br /><b>　</b><b><font color="#0000ff">松村</font></b>　社員ですね。社員がいっぱいいるから頑張っています。その先にはお客様もいらっしゃるし。使命ですね。応援してくださる方も多いんで、ここは本当にやり切るしかない。そう思っています。</p><p><br /><b>　福島</b>　2011年に「100店舗100業態」を目標としていますが、その後は？<br /><b>　</b><b><font color="#0000ff">松村</font></b>　いろいろと考えています。1ついえることは1000店舗1000業態はやらないということ。そして、食というドメインは変えないことです。食という枠の中で、いろんなことやります。そこからの5年がリーディングカンパニーになるための、本当の勝負だと思っています。   （敬称略）</p>]]>
        
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    <title>福島敦子のアントレプレナー対談 No.20</title>
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    <published>2007-07-20T10:05:12Z</published>
    <updated>2008-11-26T06:51:24Z</updated>

    <summary>Jリーガーの栄光と挫折  　福島　藤田さんはＪリーガーから介護分野に転身されたと...</summary>
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        <![CDATA[<p><b class="contents14">Jリーガーの栄光と挫折</b><br /> <img height="7" width="1" src="http://www.shanimu.com/img/space.gif" alt="" /><br /> <b>　福島</b>　藤田さんはＪリーガーから介護分野に転身されたという、異色のキャリアをお持ちです。まず介護業界との接点から教えてください。<br /><b><font color="#0000ff">　藤田</font></b>　高校を卒業してＪリーグ（平塚ベルマーレ）に入りました。その時「Ｊリーグで10年プレイしてお金を貯めたら、老人ホームを作ってうちの婆ちゃんを入れよう」という想いがあったんです。</p><p><br />　<b>福島</b>　なぜ、そう思ったのですか。<br /><b><font color="#0000ff">　藤田</font></b>　ものすごく婆ちゃん子でしてね。小学校の頃は夏休みに婆ちゃんの家にいくと、もう泣いて帰らなかったタイプなんです。</p><p><br />　<b>福島</b>　将来は、お年寄りの役に立つような仕事がしたいと。<br /><b><font color="#0000ff">　藤田</font></b>　そこまでの考えはなかったんですけど。婆ちゃんも衰えてくるだろうし、どこかの施設に入るんであれば、自分の目の前にいてもらいたい、という感じですね。<br /> <img height="180" width="120" align="right" src="http://www.shanimu.com/fukushima/img/fukushima20_02.jpg" alt="福島敦子氏" /><br />　<b>福島</b>　小さな頃からサッカーをやってこられて、高校（鹿児島実業高校）では全国優勝。そしてＪリーグでの活躍という華やかな経歴をお持ちだけに、サッカーを離れるのは大きな決断だったと思います。<br /><b><font color="#0000ff">　藤田</font></b>　そうですね。ただ、両膝を怪我してしまい「このまま続けたら将来は車椅子」と医者にいわれていました。故障者リストに名前がのってしまい、しかもチームの予算も大幅カット。それで実質解雇ですね。</p><p><br />　<b>福島</b>　当時は強烈な挫折感が、おありだったと思うんですよね。<br /><b><font color="#0000ff">　藤田</font></b>　その時は本当に、生きるか死ぬかの選択から始まったという感じです。ずっとサッカーしかやってこなかったんで、生きている意味がないというか、他にやることもない。アルバイトすら、したことがなかったんですよ。</p><p><br />　<b>福島</b>　すぐに介護が思い浮かんだわけではないのですね。<br /><b><font color="#0000ff">　藤田</font></b>　それからの半年ぐらいは、いろんなことを考えました。で、たまたま米軍兵士と仲よくなったんです。彼は「これからの日本はシルバービジネスが絶対くるから、お前やれ。ブラブラしていないで」と。その時に思い出したんですよ。「そういえば俺、婆ちゃんを入れる施設を作るんだった」と。それで介護の仕事をやってみようと思ったんです。</p><p><br /> <img height="15" width="1" src="http://www.shanimu.com/img/space.gif" alt="" /><br /> <b class="contents14">既存施設への憤り</b><br /><br /> <img height="7" width="1" src="http://www.shanimu.com/img/space.gif" alt="" /><br /> <img hspace="5" height="180" width="120" vspace="5" align="left" src="http://www.shanimu.com/fukushima/img/fukushima20_03.jpg" alt="藤田英明社長" />　<b>福島</b>　その後、特別養護老人ホームに就職されますよね。実際どうでしたか、仕事をされてみて。<br /><b><font color="#0000ff">　藤田</font></b>　2週間ぐらいで向いてないと思いました。まだ若かったですし、なんで俺がこんな仕事をやらなきゃいけないんだと。上司にそう話したら、「案外根性ないんだね」といわれましてね。カチンときて「じゃあ、やってやろう」と。今思うと、うまく乗せられたのでしょうけど。</p><p><br />　<b>福島</b>　最初はどんな仕事をしていたんですか。<br /><b><font color="#0000ff">　藤田</font></b>　例えば排泄の手伝いやオムツの交換ですが、最初は臭いも耐えがたかったですね。お風呂にしても、服を脱がせ、風呂に入れて洗って着替えさせてと全部やりました。<br />　体力には自信があったんですけど、お年寄りが車椅子から落ちないかとか、ベッドから立とうとしていないかなど、1日中気を配るので、本当に疲れましたね。毎晩７時か8時には寝ていたほどです。</p><p><br />　<b>福島</b>　それだけの重労働ですと、やめたいと思うのも自然ですね。でもその上司の言葉で。<br /><b><font color="#0000ff">　藤田</font></b>　「やってやろうじゃないか」と。で、3カ月間ぐらい続けた時に、その上司が施設長とぶつかって結局20人ぐらいが一気にやめちゃったんです。残った正社員は俺だけで、後はパートのおばちゃん。自分もやめようかなと思いました。<br />　でも、ここでやめてパートのおばちゃんしかいなくなったら、お年寄りの介護が、ほとんどできなくなる。放っておかれるだろうという想像がついたので、「これはやめられないぞ」と。</p><p><br />　<b>福島</b>　責任感が強いのですね。<br /><b><font color="#0000ff">　藤田</font></b>　それからは泊まり込みですよ。夜勤して翌朝から日勤して、そのまま夜勤してと。そういう状態が3カ月続きました。かなりハードでしたが、だんだんとそこで暮らすお年寄りたちの気持ちが分かるようになりましてね。それからですね。介護に引きつけられたのは。<br />　しかも、人がいないので相談員、事務長、副施設長と、入社1年半で立て続けに昇進し、勉強せざるを得なかった面もありました。</p><p><br />　<b>福島</b>　No.2になったわけですね。<br /><b><font color="#0000ff">　藤田</font></b>　かといって、それに伴う知識や技能があるかといったら、何もない。だけど任された以上はその仕事をきっちりできなければ、お年寄りに迷惑がかかる。そこで、またもや泊まり込みです。介護福祉法とか老人介護法などの分厚い本をひたすら暗記しました。</p><p><br />　<b>福島</b>　すべて独学ですか。<br /><b><font color="#0000ff">　藤田</font></b>　その施設を日本一の社会福祉法人にしようと、本気でそう思っていたので頑張れたんです。<br />　ただ、頑張っている中で分かってきたことは、当時の介護業界にはサービスを向上させるという意欲を持つ事業者が少なかったということです。介護保険前は民間が参入できず、社会福祉法人などが事業を展開していました。その既得権の中で、人件費を削減しコストを抑えるという発想だけが優先するわけです。業界のそういう考え方に、だんだんと憤りを感じてきましてね。<br /><br />　やがて介護保険ができ、民間が参入できるようになった。当然、質が高くて安価なサービスの競争になる。サービスの質の低いところは自然淘汰されると思い、会社を興す決心をしたんです。</p><p><br />　<b>福島</b>　現実から逃げないんですね。仲間のスタッフがやめた時に一緒にやめていれば楽だったと思うんですけれど、お年寄りを見捨てられなかった。また、副施設長としてそのまま過ごすこともできたと思いますが、介護業界を変えたいという思いを強くした。ずっと昔からそういう性格なんですか。<br /><b><font color="#0000ff">　藤田</font></b>　そうですね。正しくないことはやりたくない、というのはありますね。</p><p><b><br /><br />お年寄りの機能回復</b><br /><br />　<b>福島</b>　そもそものところで、介護事業のタイプを教えてください。<br /><b><font color="#0000ff">　藤田</font></b>　大きく3つに分かれます。1つが「施設系」、特別養護老人ホームや老人保健施設です。それから「在宅系」。これはうちがやっているデイサービス（通所介護）や訪問介護など。そして3つ目が要支援者向けサービスです。<br />　これは「介護は必要ないが支援が必要」という方向けで、リハビリなどがメインです。<br />　大きく3つに分かれますが、施設系は現状、社会福祉法人か地方自治体しかできません。民間の施設系は有料老人ホームといい、介護保険とは別枠です。</p><p><br />　<b>福島</b>　では御社が展開している「茶話本舗」という地域密着型の介護サービスには、どういう特徴があるのですか。<br /><b><font color="#0000ff">　藤田</font></b>　基本的には在宅系の、小規模多機能介護事業というデイサービスです。うちの大きな特徴の1つは、普通の一軒家を施設に使っていること。普通、介護施設というとバリアフリーに鉄筋コンクリートというイメージですよね。でも、うちの場合は本当に一軒家で段差もあります。<br /><br />　その狙いの1つは、初期投資を抑えて低料金設定を可能とし、利用しやすくすること。そして、もう1つ重要なことが機能回復を支援することです。バリアフリー施設でデイサービスを終え、帰宅したお年寄りに一番多い事故は、転んで骨折することです。施設には段差がないので、足を上げないすり足歩きになる。ところが自宅はバリアフリーではないので、ちょっとした部屋の段差でもつまずいてしまう。<br /><br />　それならば施設に段差をつけておき、職員が見守る中でその段差を越えてもらう。お年寄りは必然的に足を上げます。そこで機能を回復する方が、トレーニングマシーンを使うよりもずっと自然だと思います。</p><p><br />　<b>福島</b>　でも、介護をする職員の人たちの負担が大きいのでは。<br /><b><font color="#0000ff">　藤田</font></b>　何のために介護をするのか、です。介護職のミッションはお年寄りの機能を回復したり、生活のレベルを高めていくこと。バリアフリーなら職員は楽ですが、利用者にとっては機能低下の危険性がある。どちらを取るかで、うちはお年寄りの機能回復を選択したわけです。</p><p><br /><b><br />FC展開の狙い</b><br /><br />　<b>福島</b>　茶話本舗はフランチャイズ展開されています。介護分野でのFC事業は珍しいと思いますが。<br /><b><font color="#0000ff">　藤田</font></b>　そうですね。例えば直営で全国にバッと出しますよね。そうすると、東京などよその企業が進入してきたということで、地場の介護事業者は敵対心がむき出しになる。しかし、FCの場合は、地場の企業や個人が介護事業を始めるので、地元のネットワークを活かしやすい。これがFCの大きなメリットですね。<br /><br />　後もう1点が、コミュニケーションの円滑化ですね。お年寄りとの会話では、方言やその土地の風土・名産品、地元の有力者などの話題が欠かせません。オーナーが地元の人だとすんなりできますが、東京の職員を転勤させたらそうはいきません。なかなか地元にとけ込めず、情報を集めるのも難しい。介護の直営店の全国展開が難しいのは、そういうことが要因の1つだと思います。</p><p><br />　<b>福島</b>　FC加盟希望者の状況は、いかがですか。<br /><b><font color="#0000ff">　藤田</font></b>　やばいぐらいです。今、2000件ほど申し込みがきており、その選別に苦労しているところです。書類審査をした上で面談になりますが、ただ金儲けだけを考えている人であれば、それでもう「さようなら」というスタンスです。</p><p><br />　<b>福島</b>　志を同じにできるかどうかということを重視する。<br /><b><font color="#0000ff">　藤田</font></b>　そこがしっかりしてさえいれば、お金は絶対に後からついてくる。そういう事業なんです。</p><p><br /><b><br />介護ビジネスの収益性</b><br /><br />　<b>福島</b>　でも、どうなんでしょうか。介護は利益が出ず、ビジネスとしては難しいと最近よく聞きます。<br /><b><font color="#0000ff">　藤田</font></b>　簡単なんですけどね、本当は。ただし、一部の大手が展開している訪問介護主体のビジネスモデルは、はっきりいって儲からないです。</p><p><br />　<b>福島</b>　なぜですか。<br /><b><font color="#0000ff">　藤田</font></b>　介護保険のサービスは全部で30種類以上ありますが、その中で1番収益率の高い事業はデイサービスです。きっちり管理すると営業利益率は55%ぐらいになる。2番目が短期入所・ショートステイで、40％ぐらい。3番目が特別養護老人ホームで25％ぐらいです。一方、訪問介護は介護報酬の70〜80%が人件費に回ってしまい、どんなに頑張っても利益率は10%前後です。<br /><br />　この差は何かといいますと、結局、厚生労働省が今後増やしていきたいサービスが、デイサービスやショートステイだということなんです。自宅から通う介護サービスが増えれば、入院患者や老人ホームの入所者が減る。結果、医療関連支出も減ることになるということで、デイサービスやショートステイの報酬をよくしているんです。</p><p><br />　<b>福島</b>　同じ介護といっても、扱うサービスが違えば収益性もまったく違うわけですね。<br /><b><font color="#0000ff">　藤田</font></b>　訪問介護サービスは、身体的機能が衰えてきた方たちに対するサービスが多い。一方、うちのような小規模デイサービスは認知症の方へのサービスがメインです。<br />　介護保険サービスを受けるためには要介護認定を申請し、要介護度の判定を受ける必要があります。その調査項目では、認知症の傾向が強いほど要介護度が高くなる構造になっている。うちの場合は認知症の方に多く利用いただいており、要介護3（重度の介護を要する状態）以上の方がほとんど。介護保険を使って提供できるサービスが、訪問介護主体の企業よりもずっと多く、受け取れる報酬も大きく違うわけです。</p><p><br />　<b>福島</b>　そういう方たちの介護に力を入れたいとの思いが、収益力にもつながったということですね。<br /><b><font color="#0000ff">　藤田</font></b>　そういう方たちが多く利用するように設定することが、ビジネスとしては重要ですね。例えば認知症の方を介護する上での一番いい環境とは、少人数の顔見知りの中で生活してもらうこと。うちの場合、だいたい1施設1日定員10名です。しかも、段差があるので身体的機能の弱った方は利用しづらい。その分、認知症の方が多く集まってくる。</p><p><br />　<b>福島</b>　それを計算して。<br /><b><font color="#0000ff">　藤田</font></b>　計算しています。結果として、認知症の方が快適に過ごすことができ、我われも事業として成り立つ。そして行政にもメリットがある。だから、ウィン・ウィン・ウィンの関係といっています。</p><p><br /><br /><b>これからのビジョン</b><br /><br />　<b>福島</b>　これからますます高齢化が進む中で、今後の介護はどういう制度が理想的だと思われますか。<br /><b><font color="#0000ff">　藤田</font></b>　難しい問題ですね。先日、スウェーデンの介護事業者と話をしました。スウェーデンは1960年代からずっと日本以上の高齢化社会だったんです。その国が40年かけてやっと小規模施設に至ったと。<br /><br />　昔は800人以上収容する大きな施設を作っていたのですが、それよりも地域の中にあり必要な時に必要な量のサービスをいつでも使える状態する方が、効率がいいということにやっと気づき始めたというんです。<br />　ただし、事業としては完全に赤字らしいです。スウェーデンは人口900万人ほど、GNPの65%は税金という社会ですが、それでも介護の財政は厳しい。</p><p><br />　まして、日本には１億2000万人もおり、高齢化の速度はスウェーデンの倍以上。今の制度のままでは絶対に財源が足りなくなる。今後は年金と介護保険料を一緒に徴収する方向ですし、年金のように納めない人が増えるかもしれない。そうしたら完全に足りなくなるはずです。<br />　それもあって今、プライベート介護保険の商品化を保険会社と一緒に計画中です。例え国の制度が頼りにならなくなったとしても、きちんと給付を受けられる民間保険です。</p><p><br />　<b>福島</b>　次から次へとビジネスのアイディアが生まれてきますね。藤田さんが最終的に目指すビジョンとは、どういうものですか。<br /><b><font color="#0000ff">　藤田</font></b>　最終的に目指すのは、既得権益を食い物にするような社会福祉法人がなくなる社会、ですかね。そのためには質が高くて安いサービスを提供し続け、その数を全国で増やしたいと思っています。</p><p><br />　<b>福島</b>　今はフリーターやニートなど、仕事に就かない若者がたくさんいます。彼らをどう見ていますか。<br /><b><font color="#0000ff">　藤田</font></b>　今、厚生労働省の外郭団体から講師を依頼されています。年間を通じてニートやフリーターたちとざっくばらんに話をします。テーマは介護の仕事について。「やってみないか」と。</p><p><br />　<b>福島</b>　すごく効果がありそうですね。藤田さんが情熱を傾けていることがよく分かりました。<br /><b><font color="#0000ff">　藤田</font></b>　今は、それしかやる気がしない。何といってもサッカーの次の人生ですからね。<br />（敬称略）</p>]]>
        
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    <title>福島敦子のアントレプレナー対談 No.19</title>
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    <published>2007-04-20T05:41:37Z</published>
    <updated>2008-11-28T05:34:24Z</updated>

    <summary>「手間がかかる」をきっかけに  　福島　オークネットさんは1985年に世界で初め...</summary>
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        <![CDATA[<p><b class="contents14">「手間がかかる」をきっかけに</b><br /> <img height="7" width="1" alt="" src="http://www.shanimu.com/img/space.gif" /><br /> <b>　福島</b>　オークネットさんは1985年に世界で初めて中古車のTVオークションをスタートしたパイオニアです。まず、どういうきっかけでこのビジネスを始められたのか、そこから教えてください。<br /><b><font color="#0000ff">　藤崎</font></b>　当社は先代社長（故・藤崎眞孝氏）と私とでスタートしました。先代は私の実兄で10歳違いですが、40年ほど前から、中古車販売業を営んでいましてね。当時、販売業者として仕入れのために中古車オークション（現車の競売会場）を利用していました。しかし、利用するうちに「オークションは便利だけれども手間がかかる」と。「これを通信にしたら」という発想がきっかけになったのです。<br />　また、その当時は第1次パソコンブームでもあり、当社も82年にパソコン販売会社を設立。コンピューター関連の販売や開発を手がけていました。グループ内にコンピューターのノウハウを持つ会社があり、中古車を販売しているということで「これはもう通信を使ったオークションをやろう」ということで、プロジェクトがスタートしたのです。</p><p><br /> <img height="180" align="right" width="120" alt="福島敦子氏" src="http://www.shanimu.com/fukushima/img/fukushima19_02.jpg" /><b>　福島</b>　藤崎社長のご兄弟は、皆さん、経営者だとうかがいました。起業家精神にあふれたご家族だったんですね。<br /><b><font color="#0000ff">　藤崎</font></b>　どうでしょうか。まあ、感覚としては、一番年長の先代が起業家精神を持っていて、皆でそれを学んだところはありますね。残念なことに93年に51歳で亡くなりましたが。</p><p><br /><b>　福島</b>　お若いですね。<br /><b><font color="#0000ff">　藤崎</font></b>　先代は、いろいろなビジネスを立ち上げました。中には「これはいいや」と止めてしまうとか、そういう部分も繰り返しながらですね。そういう先代を通して、ビジネスとは何ぞやということが、かなり身に付きましたね。</p><p><br /><b>　福島</b>　ご兄弟は何人ですか。<br /><b><font color="#0000ff">　藤崎</font></b>　5人兄弟です、男ばっかりの。私が一番下です。</p><p><br /><b>　福島</b>　ご実家は何かご商売をやっていらしたんですか。<br /><b><font color="#0000ff">　藤崎</font></b>　やっていません。父親はサラリーマンでしたが、あまり稼ぎもよくなくて。5人とも一応学校は卒業しましたが、苦労が多かったですね。そういう意味でもハングリー精神が芽生えて、何かやらなくてはいけないという思いが、1つの要因になったとは思います。</p><p><br /><b>　福島</b>　早くからお兄様の仕事を手伝われていたのですか。<br /><b><font color="#0000ff">　藤崎</font></b>　中学生ぐらいから、仕事みたいなことをやらされていましたね。兄が車に関わったのは学生時代。バイトで稼いだ金で買った中古車を、雑誌の売買コーナーに出したのですが、これが高く売れたことから始まったんです。学校卒業後、1年ぐらいサラリーマンをやりましたけれども、辞めて中古車展示場を作り、そこから会社経営を始めました。23歳ぐらいの時ですね。<br />　私は当時、13歳。車磨きから、お客さんの相手のようなことをしていました。中学生が接客でもないんですが、他に誰もいなかったもので、しようがないから、私がせざるを得なかったんですよ。</p><p><br /><br /> <b class="contents14">先代社長との絆</b><br /> <img height="7" width="1" alt="" src="http://www.shanimu.com/img/space.gif" /><br /> <img hspace="5" height="180" align="left" width="120" vspace="5" alt="藤崎清孝社長" src="http://www.ric.co.jp/shanimu/images/fukushima19_03.jpg" /><br /><b>　福島</b>　仕事を手伝われたのは楽しかったからですか。<br /><b><font color="#0000ff">　藤崎</font></b>　楽しいというか、見るものがすべて新しくて。いつの間にか、ついていったというパターンですかね。時には大変なことをいわれたりして、苦労して手伝っていましたよね。ある時、パンフレットを作ることになったのですが、私が写真を撮りにいき、それを編集し、レイアウトする。全部やらされました。やったこともないことを、いきなり「やれ」といわれるものですから、鍛えられましたね。</p><p><br /><b>　福島</b>　10歳も離れているお兄様からの指示ですと、わりと素直に聞けるのではないですか。<br /><b><font color="#0000ff">　藤崎</font></b>　そうですね。よくいうんですけど、父親と兄の中間みたいな存在なんですよ。父親というとちょっと毛嫌いしちゃうけど、かといって兄貴でも近すぎて反発心が出る。ところが、その中間的な存在だったので、いつの間にか、仕事を手伝っていたんですね。</p><p><br /><b>　福島</b>　いずれはお兄様と一緒に会社をやろうと思っていたのですか。<br /><b><font color="#0000ff">　藤崎</font></b>　いずれ独立という感覚はありましたね。サラリーマンじゃない、と思っていました。しかし社会勉強をしたいから、不動産会社に入りましたけどね。で、3年ぐらいして呼ばれました。まだ続けたかったんですけれど、兄に「辞めてくれ」といわれたんです。当時、グループ内に通信販売会社があったのですが、そこが赤字でしてね。これを立て直せ、ということでした。</p><p><br /><b>　福島</b>　いきなり経営再建ですか。よくお引き受けになりましたね。まだ、社長の経験もお持ちでなかったのに。<br /><b><font color="#0000ff">　藤崎</font></b>　がむしゃらでした。そういう意味では、かなり荒っぽい勉強をいつもさせられたという感じですね。<br />　その通販会社は、ラジオ局と一緒に自動車整備講座をやっていたのですが、それが大赤字でね。私の最初の仕事は、その事業からの撤退でした。ラジオ局に出向き「すいません」といって頭を下げて。今でも覚えていますよ。あれは27歳頃かな。なぜ止めざるを得ないかということを、とくとくと説明しました。<br />　そうしたら、2つ返事でしたね。「そこまで苦労されたんですか」と。その話を通じて、その方と仲良くなりましてね。その後もお付き合いをさせていただきました。</p><p><br /><b>　福島</b>　人のご縁というのは不思議ですね。<br /><b><font color="#0000ff">　藤崎</font></b>　そうですよね。そういうマイナスの時でも、やっぱり誠意を持って対応すれば、相手は分かってくれるということを学びましたね。そういう大変な役目を、兄は私にどんどん課しましたけど、その中で本当の経営を肌で感じながら、覚えていきましたね。</p><p><br /><b>　福島</b>　先代社長と藤崎社長とは、兄弟の枠を超えた、何か特別な絆で結ばれていたのでしょうね。<br /><b><font color="#0000ff">　藤崎</font></b>　やっぱり尊敬していましたよね。いつも先々を一生懸命に勉強していましたしね。</p><p><br /><b><br />品質評価基準の確立を重視</b><br /><br /><b>　福島</b>　今でこそネットショッピングが普及し、現物を見ずに物を買うことへの抵抗感が薄れてきたと思います。しかし85年当時、現物を見ないで中古車を購入することには、もの凄い戸惑いや不安があったと思うんですよね。当時の業者さんの反応は、どんな感じだったんでしょうか。<br /><b><font color="#0000ff">　藤崎</font></b>　大半の人は「そんなのできるわけない」と。そういう評価でしたよ。当然のことながら中古車ですから、1台ごとに、どんな傷があるかや、乗り方次第で程度が違ってくる。一物一価の状態ですよね。<br />　しかし、その辺は兄が中古車販売で培ったノウハウもあってですね。ここまでやれば何とかなるだろうという検査体制、これを初めから立ち上げて、買い手の立場になって車を全部チェックしたんです。どこに傷があって、どういう程度のものか、過去に事故歴がないかなど。当時、0から10までの評価点を作りましてね。要は「どういう車か」ということを情報にしたわけです。それを基にして買ってもらうということにチャレンジしたんです。</p><p><br /><b>　福島</b>　信頼される品質評価基準の構築を重視したわけですね。<br /><b><font color="#0000ff">　藤崎</font></b>　検査が大事だということで、しっかり検査員を教育し、買い手の立場に立って検査をする。うちの検査は厳しいといわれています。売り手の立場からすれば「そんな小さな傷、どうでもいいじゃないか」となる。しかし、そういうこともチェックして、かなり詳細な情報を出したんです。出品店からは「そんなに厳しいんじゃ出せないよ」という反応が結構ありました。<br /><br />　ところが、それだけ厳しい検査なので買うのは安心だろうということで、買い手はついてきたんですね。買い手がついてくると売れるものですから、出品店も「少し厳しくてもしようがない」といって出品するようになった。検査の仕組みを重視したことが功を奏したんです。</p><p><br /><b>　福島</b>　それにしましても、事業のスタート当初は参加会員が560社、出品台数が119台。それが現在では7000社の会員企業で、出品台数が年間約30万台まで飛躍しています。この急激な成長の要因を、どう分析されていらっしゃいますか。<br /><b><font color="#0000ff">　藤崎</font></b>　TVオークションのよさは、車を移動せずに出品できること。これが最大の特徴なんです。従来型のオークションは、現車を持ち込んでそれを競っていきます。うちの場合はその車を、検査員が出向いて情報化しますので、展示したままオークションに出せます。<br />　しかし、現車を見ないで買うということになると、高い車は売れないような気がしますよね、普通は。それが逆でしてね。いい車、高い車程、うちを利用していただけるんです。<br /><br />　それは、うちの検査を信用いただいていることもありますが、高年式高額車両と呼ばれるいい車は、基本的に移動させたくないんですね。傷が付く可能性がありますし、走行距離も増えてしまう。だから移動せずに売りたい。TVオークションは、そのニーズにフィットするんです。<br />　しかも、高額車両は地域内よりも全国で買い手を探す方がいい値段が付く。うちは全国ネットですから、いい値段になるという評価も高いんですね。</p><p>&nbsp;</p><p><br /><b><br />WEBを使いサービス拡充<br /></b><br /><b>　福島</b>　オークションのシステムですが、スタート当初はレーザーディスクを使用し、今は衛星放送です。今後はインターネットに切り替える計画とうかがいましたが、その狙いはどういうことですか。<br /><b><font color="#0000ff">　藤崎</font></b>　1つにはランニングコスト削減もありますが、やはり最新の技術を使って新しいサービスをどんどん提供していくためのインフラ作りという意味合いが大きいですね。<br />　今までは、7000以上の会員様すべてに対し、リアルタイムで画像や音声をやり取りするには、衛星放送が一番効率がよかった。しかし、ネットのコストも安くなり、ブロードバンド環境も整ってきて遜色ない状態になってきたということで、次世代サービスの拡充に向け、切り替えようということを考えています。</p><p><br /><b>　福島</b>　インターネットにシフトすることで、これまで以上に詳細な情報を提供できるようになると。<br /><b><font color="#0000ff">　藤崎</font></b>　会員様からすると、ネットに切り替わったからといって、TVオークションそのものは、そんなには変わらない。うちがこれから提案したいのは、「共有在庫市場」という新しい仕入れ販売手段なんです。<br />　オークションというのは、その日朝から晩まで次々に中古車が出てきて、1台ずつ競売にかけられます。自分の買いたい車がいつ頃出てくるかということはリストで確認できますが、朝1番に出たり、夕方だったり。そうしますと、そういうオークションに参加すること自体が、だんだんと大変なことに感じられるようになってきたんです。今までは、それでも便利だといわれていたんですけれども。<br /><br />　そこで共有在庫市場は、うちの会員店様が持っている在庫をどんどんデータベース化しましょうということです。今までは在庫を競売にかけてさばいていたけれども、そうではなくてデータベース化して全会員に開示する。そうすれば、小売店は在庫情報を画面で見せながらの商売が可能になる