福島敦子のアントレプレナー対談 No.15

(写真◎乾芳江)

マツモトキヨシ◎松本南海雄社長

業界トップの原動力は父の教え
「1番になれ!2番はビリと一緒」
(株)マツモトキヨシ(千葉県松戸市)
 売上高日本一のドラッグストアチェーン。現社長の実父・松本清氏が1932年に開業した個人商店「松本薬舗」が始まり。以来、既成概念にとらわれず「よい品を安く」常にお客様の満足を追求するサービス精神、並びに米国で学んだ「大量仕入れ」や「チェーンストア理論」により急成長。90年代以降は「マツキヨする」が女子高生の間で流行語になるほど注目された。現在は同業者との提携やM&Aを積極推進しており、08年に1000店舗、グループ売上高 1兆円を目指している。04年度連結売上高3053億円(前年比110.8%)。
●1932年:松本薬舗を創業
●1987年:都市型ドラッグの1号店「上野アメ横店」オープン
●1990年:株式店頭公開
●1999年:東証一部上場
●2001年:500店舗達成
●2002年:医薬品備蓄センターを稼働(埼玉県吉川市)
●2003年:調剤研修センター/化粧品教育研修センターを設立(東京都豊島区)

関東では圧倒的な店舗網

福島敦子氏 福島 以前、対談でお会いしたのが6年前。松本社長は全然お変わりないですね。私は自分の写真を見て、なんて若かったのだろうって(笑)。
 松本 いえいえ。福島さんも全然変わっていないですよ。


 福島 よろしくお願い致します。6年前にお会いした時から御社はドラッグストアのリーディングカンパニーでした。ただ現状は、ドラッグストア業界も過当競争になってきており、御社も既存店売り上げは前年同月比でマイナス基調という厳しい面もありますね。
 松本 私どもは前々から関東で1000店舗出すといってきました。関東ではどこにいってもマツモトキヨシがあるようにしたい。これは近い将来、医薬分業率(医院・病院は治療だけを行ない、医薬品販売は薬局・薬店が行なう)が100%になることを見越しているからです。
 例えば丸の内のクリニックで受けた処方箋を丸の内のマツモトキヨシに出せば、調剤薬品を仕事帰りに自宅近くマツモトキヨシで受け取れる。あるいは宅配に も対応できる。そんなネットワークを構築するために圧倒的に出店してきましたから、一部で自社競合しているわけです。同業他社よりも既存店の伸び率が悪い という理由はそこなんです。


 福島 関東では数が多くなりすぎたということですね。
松本南海雄社長 松本 シェアを高めることが先決ですから、自社競合してもいいんです。基本的には既存店が伸び続けることが理想ですが、なかなかそうもいかない。他社に取られるよりは、例え自社競合してもその地域でマツモトキヨシとして高いシェアを取った方がいいんです。


 福島 日本の医薬分業率は現状でどれぐらいなのですか。
 松本 だいたい50%ぐらいです。米国ですと100%医薬分業です。今の日本は特殊で、お医者さんが院内で薬を販売している。お医者さんは薬で儲けていた、はっきりいえば。ところが、このままでは医療費が高騰し続けるということで、国は分業化を進めているんです。


 福島 現状でお医者様が扱っている医薬品の市場はどれぐらいですか。
 松本 だいたい5兆円ぐらいですね。今のドラッグストア市場が5兆円ほどですから、分業化が進めば10兆円規模になる。小売業の中でも数少ない伸びている業態ですね。

 

 

都市型ドラッグの誕生秘話

 福島 1987年に出店した上野アメ横店、これが今の都市型ドラッグストアの第1号とうかがったのですけれども、その形が作り上げられた経緯はどうだったのでしょう。
 松本 当時は都心にも2~3店あったのですが、千葉県の松戸や柏が主力でした。そこで主婦層をターゲットに、雑貨、トイレットペーパー、洗剤などをチラシの目玉にして集客。薬や化粧品を売っていたんです。
 で、たまたま上野にいったら、アメ横のパチンコ屋さんの跡だったんですが、ビルごと借りてくれれば貸すと。場所はすごくよかった。大勢の若い人が歩いて いましたしね。しかも、松戸や柏を通るJR常磐線は上野へ乗り入れています。上野に旗艦店を作れば、常磐線沿線のマツモトキヨシの宣伝にもなる。保証金も 家賃も高かったけれども、若い人が多いというのがいい、ということで出店を決めました。

 ビルは4階建てだったのですが、3階以上を売り場にするのは大変でしたから1、2階を売り場にしました。ところがそれまでのドラッグストアで、2階の売 り場で成功した企業はなかったんです。それは承知していましたが、保証金も家賃も高いために、採算を合わせるには1、2階を売り場にする以外になかった。 1階を薬にし、2階を化粧品にしようと。
 百貨店にいくと化粧品は1階の一番いい場所にありますよね。あれはメーカーさんが費用負担や美容部員を派遣するなどして、ものすごくコストをかけて確保しているんです。当社のアメ横店もメーカーさんから「1階ならコーナー代を負担する」といわれました。

 我々としては「1階は狭いから、2階でゆっくりと化粧品を販売したい」と主張したのですが、ダメでしたね。何度頼んでもダメということで、「じゃあコー ナー代も人も出してくれなくていいから、まずは2階でやらせてほしい。うまくいかなかったら1階でやります」ということでスタートしたんです。
 入り口をオープンに入りやすいものとし、階段まわりにも商品を並べて2階へ誘導する。2階の化粧品関連では、口紅やマニキュアなどを自由に使わせたんです。現品サンプルをすべておろし「全部試していいですよ」とやった。それが成功した原因ですね。


 福島 アメ横店はスタートから、かなり成功したのですか?
 松本 そうですね。最初は月に3000万円売れてくれればいいと思ったのですが、いきなり8000万円ぐらい売れたんです。ビックリしましたよ。すぐに1億円台になって。うちには当時、月に5000万円売る店もありませんでしたから。


 福島 アメ横店を契機に都市型ドラッグストアの出店を加速したわけですね。
 松本 これからは若い人をターゲットにした方がいいと。その方が化粧品の割合が高かったのです。あまり薬にこだわるのはよそうということで、若い女性に向けたいろいろな販促をスタートしました。

 


創業者「松本清」


 福島 創業者はお父様ですよね。お父様が1932年に創業された個人商店が始まりとうかがいましたが、きっかけは何だったのですか。
 松本  私の祖父は早くに亡くなっており、父は祖母に育てられました。薬問屋へ丁稚奉公にいき、そこで薬の販売を学んだのです。大学は夜学の薬科大学にいき、そこ で販売許可を取りました。卒業してからは常磐線沿線で薬局のない駅はどこかを探し、北小金駅近くになかったので、そこで開業したのが始まりです。


 福島 1954年にお父様がご自身の松本清というお名前を社名にされますよね。今でも個人のフルネームを社名にする企業は少ないですが、当時は相当斬新だったと思います。お父様はかなり進取の気性に富んだ方だったのでしょうね。
 松本  最初は「松本薬舗」という商号でしたが、町会議員に出るに当たってフルネームにしようと。チラシなどで宣伝すれば町会議員の選挙にも役立つということで、 フルネームでカタカナにしたんですね。当時の小学生はカタカナで読むから。しかもハイカラだし、ということです。フルネームでやっているお店もないだろう し、選挙の宣伝と一石二鳥を狙ったわけです。


 福島 経営者としてのお父様は、どんなタイプの方でしたか?
 松本 まあ、アイデアマンですよね。松戸市長時代に「すぐやる課」などいろいろつくりました。話すのが好きでね。よく自宅へ農家の人やお店の経営者を集めて、自分の経営哲学を教えていました。人と会って話をするのが大好きだったですね。
 商売でも、昔猿を飼っていたことがあるんです、店頭でね。猿を飼っていると子供達が見にきます。ところが子供だけが見にきても、商品は売れない。そこで 校長に、子供だけでよこさないでくれと。見にくるなら危険だから父兄と一緒にきてほしいというようなこといって。母親とくれば商品を買ってくれるだろう と、そんなことを絶えず考えていました。

 



同族経営の功罪


 福島 1975年にお兄様が社長に就任され、01年に社長がトップにつかれますよね。息子さんお2人ともお父様の事業を継がれたのは、自然な流れだったんですか?
 松本  僕は文系大学が志望で、当初はうちを継ぐつもりはありませんでした。兄が継ぐことが決まっていましたしね。ところが僕が高校3年の時に、兄がおやじと喧嘩 して家を出てしまった。それでおやじに「うちを継げ。薬学にいきなさい」と説得されたんです。で、条件を出しましてね。車を買ってくれるなら、ということ で薬科大学に進んだのです。


 福島 でも、お兄様は戻ってこられた。
 松本 戻ってきたんですよ。僕も「どうするんだ」って聞いたら「店を増やすからいいじゃないか」ということで。しかも、その2年後に弟まで入ってきて。今は社外取締役です。私の2人の息子も今はマツモトキヨシにおります。本当は2人とも入れたくなかったのですけれどね。


 福島 入れたくはなかったのですか?
 松本 どうしてかというと、僕は今まで兄弟3人でやってきましたが、やっぱり難しいんです。派閥みたいなものができてしまう。


 福島 同族経営だと派閥ができやすいのですか?
 松本  まあ、人間が3人集まれば派閥ができるというくらいですからね。特に兄弟関係というのは、なかなか難しい。例えばスーパーマーケット進出を決める役員会の 時のことです。僕は反対したのですが、兄が弟を説得して決めてしまった。で、兄も都合がいい時は弟が反対すると、僕を説得する。必ず2対1になってしまう んですよ。


 福島 ビジネスライクに割り切れない肉親の情みたいなものが出てきてしまうのですね。逆に同族経営ならではの強みも、あったのではないですか。
 松本  僕はスーパーに反対でしたが、弟は負けまいとしてスーパーを一時期30店まで増やしたんですよ。ただ業績がだんだんと悪化してきて、僕が社長になってから はどんどん閉めて今8店舗です。いい時はいいんですよ、そうやって前向きな競争をしますから。そういう面ではいいのですが、やっぱり内部での遠慮のような ものが出てしまう。しかも、派閥的なものもできますね。

 

 

異議あり! 健康保険制度

 福島 今はセルフメディケーション、自分の健康は自分で守るという流れが強くなっています。これはドラッグストアにとって、追い風ですよね。
 松本 そういわれているんですが、実際には日本の製薬メーカーのOTC(市販医薬品)出荷割合はどんどん減っています。欧米メーカーとの大きな違いです。なぜかというと保険制度が違うんですね。
 例えばフランスでは、軽い病気は高い患者負担率、重度の病気は軽い負担率ですから、軽い病気じゃ病院にいかない。町のドラッグで薬剤師に相談してOTCで直してしまう。
 アメリカは民間の保険制度ですから、4000万人も保険に入れない人がいる。国も軽い病気は薬剤師に相談して薬で治しなさいというPRや学校教育をしています。日本もそういう仕組みに変われば医療費の高騰を抑えられます。


 福島 国民健康保険に入れば患者負担はどんな病気でも一律3割というのは、おかしいということですね。
 松本  おかしいんですよね。だいたい日本の医療の3分の1は生活習慣病です。肥満とか高血圧とか心臓病とか糖尿病とか。今の若い人達はハンバーガーや外食の弁当 など、脂肪分の高いものを好んで食べているから肥満にもなるし、病気にもなりやすい。学校で健康に関する教育をしっかりやれば、食生活の改善から取り組め る。そして、しっかり運動する。そうなれば生活習慣病になる確率が減少します。ここを改善するだけでも医療費はもっと下がります。
 セルフメディケーションは世界のすう勢ですが、日本はそこが弱い。もっと学校教育に薬剤師を活用すべきだと、我われは主張しています。そして病院には本当に重い病気の人だけがいけば医療費を抑制でき、診察や治療にゆとりが出てきます。

 


24時間型の店舗戦略


 福島 2007年から食品や幅広い日用品を扱う24時間営業のコンビニ型ドラッグストアを目指すとうかがいました。
 松本 アメリカのドラッグストアは24時間営業が主流です。しかもコンビニで扱っているものはすべて扱っており、値段も安く品揃えも豊富。日本もだんだんと、そういう傾向になりますよ。
 今まで日本で24時間営業ができなかったのは、薬剤師の常駐という規則があったからです。しかし、今度の薬事法改正で新しい資格制度ができる。これを社員みんなに取らせれば24時間営業が可能になります。


 福島 ドラッグストアとコンビニの力関係も、今度の薬事法改正で大きく変わってくるわけですね。
 松本  要は利便性です。ウォルグリーン(米国No.1のドラッグストア)の24時間営業では昼間の売り上げが30%ぐらい。いつでも開いてるという安心感からで す。処方箋を夜中に持ってくる場合もある。日本では夜中に持ってくることは少ないと思いますが、いつでも開いている安心感は大きいと思いますよ。
 福島 御社が24時間のコンビニ型ドラッグストアということになると、コンビニとの境界線がなくなる。ドラッグストアという業態の概念はもう消えてしまうのですか?
 松本  そんなことはないと思いますけど。ただ、GMSもかつては何でも扱っていましたが、今や家電はヤマダ電機さん、ドラッグは当社、靴はABCマートさんなど に奪われたように、ただ器の大きな中ですべてやっても中途半端なんですね。もちろん専門店でも自社の特徴を出さなければ消費者に支持されませんが、その分 野で確立した専門店が強くなっていくことは間違いないです。


 福島 でも、どうなんでしょう。アメリカでは、GMSのウォルマートがトイザラスなどの専門店を脅かしていることが大きな話題になっています。
 松本  アメリカと日本では消費者の層が違います。アメリカは格差社会ですから、下層クラスが4000万人ぐらいいる。そういう社会構造の中ではウォルマートの安 さ最優先の戦略が支持されるわけです。日本は価格も大事ですけれども、品質を重んじる。イトーヨーカドーさんが一時期ウォルマートの商品を入れましたが、 あまり売れなかった。日本人の消費者は、すごく難しいんですよ。


 福島 最後に、マツモトキヨシが急成長し、リーディングカンパニーに上りつめたその要因についてお聞かせください。
 松本  父は日本一が好きでした。口癖でしたから「何でも一番になれ。2番ではビリと一緒だ」と。この業界でいうと、かつてはコクミンさん、セガミ薬局さん、ヒグ チさんが関西の御三家といわれ、大手でした。彼らと共同仕入れの会社を設立したのですが、僕はいつもコクミンさんを抜きたかった。当時はものすごい差があ りましたからね。店長会議でも常に「一番になるぞ」といっていました。それが原動力ですよ。


 福島 ともかく日本一になる、という信念ですね。
 松本 96 年に「5年間で500店舗出す」と宣言した時も社内では、「絶対に不可能」という声が多かったんです。それまでの60年でやっと170店舗出した会社が、 次の5年間でその倍の店を作るという計画でしたからね。でも僕は「そんなことない」と確信しており、実際、毎年50店、60店、70店、80店、90店と 出店しました。「やればできる」ということですね。(敬称略)

○松本南海雄(まつもと・なみお)氏
1943年千葉県生まれ。1965年に日本大学理工学部薬学科を卒業し、同年、薬剤師免許を取得して(有)薬局マツモトキヨシ入社。1970年に組織変更し(株)マツモトキヨシとなり、専務取締役に就任する。1994年、ドラッグストア各社の共同仕入れ会社(株)ニッドの代表取締役に就任し、1999年には日本チェーンドラッグストア協会会長に就任(現任)。2001年にマツモトキヨシ代表取締役社長に就任し現在に至る。
インタビュー後記
 松本社長が話されたように「医薬分業」と規制緩和による「24時間営業」の2つが、これからのドラッグストア業界の力関係を大きく左右する重大テーマだと思います。調剤薬品市場の半分は、ドラッグストア業界にとってまだ手つかず。これが5兆円も残されているのは大きな魅力ですね。
 これに備えて着々と手を打っていることがよく分かりました。好立地への新規出店の強化や、薬剤師やこれに準ずる資格取得者の育成などを重視されていますが、これらは今後、他社との大きな差別化要素になることと思います。
 ただし、24時間型店舗では食品なども幅広く扱われるとのこと。そのことと、ドラッグストアとしての専門性強化というもう一つのテーマとが、どう両立するのかな、とも思います。新しい“マツキヨ”がどう進化するのか、注目したいと思います。(談)