福島敦子のアントレプレナー対談 No.11

(写真◎乾芳江)

ヤマダ電機◎山田昇社長

真に社会貢献するため
早期の売上高2兆円を目指す!
ヤマダ電機(群馬県前橋市)
山田昇社長が個人創業した家電店としてスタート。83年に株式会社化し、89年に店頭公開、00年に東証一部に上場。価格競争が激化した90年代に家電業界のプライスリーダーとして躍進。01年に売上高業界トップとなり、05年2月には国内専門店として初の売上高1兆円を突破。今期は1兆3000億円を目指している。
●沿革
1973年 家電店を個人創業
1983年 株式会社に改組
1989年 店頭公開
1990年 郊外型家電店として初のPC販売本格化
1997年 西日本進出を本格化
2000年 東証一部上場
2001年 売上高業界トップに
2002年 総合DS「ダイクマ」の経営権を引き継ぐ
2005年 売上高1兆円を突破

売上高1兆円は通過点

福島敦子氏 福島 今日はざっくばらんに、よろしくお願いします。まず最初に、日本の専門量販店として初めて売上高1兆円を突破し大変話題になっています。多分、これは経済史に残る出来事だと思いますが。達成された感想からお聞かせください。
 山田 よく聞かれるんですけれどね。感想といっても1兆円を目指そう、などの目標は当初から持っていないんです。中期的な目標は経営に不可欠なので立てますが、長期的なものはない。1兆円は1つの節目ではあるけれど、これが最終的な目標ではないという考え方ですね。


 福島 結果的に売上高が1兆円を突破したと。
 山田 そうですよ。長期的に物事を大きくいう人ほど、うまくいってない。やることをやらないで、そればっかりいってるから。大ボラで。
 3年ですね。3年先を確実にやれる人。これは何をやらせたって成功するんじゃないですか。3年先のためには、今何をやらんといかんのか、という具体性があるでしょう。でも、10年後では具体性は何もない。これは大事なことじゃないかな。


 福島 でも、やっぱり一代でここまでこられたわけですから「我ながらよくやってきたなあ」という感慨はおありだと思うのですけれど。
 山田 そうですね。全小売業の中で、前期の売上高は上位5番目ぐらいになるのかな。そういう意味では規模的には、そうですね。ただ、小売業というのは扱う商品にもよりますから。絶対額で決めるものでもないですけどね。

 



やった人が報われる会社に

 福島 起業したいと思われたきっかけ、いつ頃からそういう思いを抱き始めたのでしょうか。
 山田 私は10年間メーカーに勤めていましたが、辞めた理由が、とにかくサラリーマンというか、組織というか、これが合わなかった。やっただけ評価されるというやりがい。勤めていてこれを感じられなくなった。だから辞めたんです。


 福島 一生懸命やっても、当時はなかなか報われなかったと。
山田昇社長 山田 組織だから仕方ないですよね。私には、たまたま技術がありましたしね。


 福島 サラリーマン時代は非常に優秀な社員でいらっしゃって、ものすごく実績も伸ばされたと思うんですよね。
 山田 いや、それは分からんけどね。まあ普通ぐらいですよ。ただ、今でいうQC(品質管理)の仕事をしていたから、考え方が普通のサラリーマンとはちょっと違ったかもしれないね。


 福島 どう違ったのですか。
 山田 どんな仕事でも、目標を管理し、最適な条件の中でどう取り組んでいくか、という考え方や手法があるんです。そういう部分について私に経験があったということです。だから、他の人とはちょっと違う。ここまできた経営の手法もそうです。


 福島 性格的には、ご自分で会社経営する方が、向いていらっしゃったんでしょうね。
 山田 とにかくもう、人に使われるのが嫌で。実際に自分が会社を興してみて「うちの社員にはそういう思いをさせない」というのはベースにありますね。


 福島 なるほど。
 山田 人事制度をとってみて も、独特な制度ですよ。一言でいえませんけどね。今1万5000人以上の社員がいますが、組織が大きくなり人が多くなればトップの目が届かなくなりますよ ね。しかし、当社は幹部が見られるようになっている。できるだけいろんな人間を見て、やる気のある人間を引き出す。そのために、有資格制度を導入したんで す。1級から4級というクラスがあり、能力の評価を顕在化させて、優秀な人材はそこでさらに伸ばしてあげる。こういうシステムです。もちろん給与と連動しています。


 福島 社内独自の評価システム、資格システムですね。
 山田  そうです。私がなぜ会社を辞めたかというと、自分の能力を高められる方法がなかったからです。まあ普通はそれが一般的ですよ。しかし私はこういう性格だか ら、上司に対し「こういう企画を持っているから、やらせてくれ」といってきたんです。しかし、やらせてくれない。だから辞めた。


 福島 なるほど。分かりやすい。
 山田 うちの会社は少なくともそういう会社にしたい。結果的にはそれがやる気を引き起こし、モチベーションが高まるわけです。

 


パパママ店時代の山田社長

 福島 30歳の時に家電店を始められますよね。
 山田  いろんな業界のことを勉強しました。店を見たり、「なぜここは繁盛しているのだろう」とか「ここは繁盛していないんだろうか」など。そういったことを研究 しながら、「うちはこうやった方がいいな」とかね。最初はそんな感じでした。母ちゃんが、店の中を守ってくれていましたしね。たまたま、私、職場結婚なんでね。


 福島 サラリーマン時代に結婚されたのですね。
 山田 うちの母ちゃんは経理でした。で、一緒に辞めさせて。


 福島 奥様は反対されましたか、独立する時に。
 山田 しなかったですよ。「どうぞ」といってました。


 福島 度胸のある奥様ですね。
 山田 そうですよね。


 福島 絶対そこで止められますよね、普通は。
 山田 子供がお腹にいましてね。


 福島 それでも止めなかった。
 山田 ええ。母ちゃんが帳簿をやり、私が外へ出る。このバランスもあったから、順調にいったんです。3年目で自分の家を持ち、4年目に店を大型化して、順調に店を増やしていった。


 福島 奥様は本当に心強いパートナーですね。
 山田 パパママ店ですよ。パパママ店。着実にお客さんを作っていったんです。気が付くと店を中心にビッシリでした。隣がお客さんですよ、すべて。もう町で私の顔を知らない人はいない。それぐらいお客さんを作っていました。


 福島 基本的なことですが、小売業の面白さ、魅力をどう感じておられますか。
 山田 結局そこですよね。お客さんと直だから、結果がすぐに出る。そこが面白い。怠慢だとその怠慢通りの結果が出てくるでしょう。


 福島 いろいろな情報を収集して仮説を立てて、仮説に則って商品を仕入れ、お客さんが実際どういうものを買ったかを検証し、また、仮説を立てての繰り返しですね。
 山田 そうです。


 福島 小売業は心理学のような部分もあるような気がします。お客さんの心理をどう読むかという。
 山田 うです。ただ、私どもの扱う商品は、メーカーさんに作っていただいているじゃないですか。これを、いかに市場に伝え、提案するか。その商品企画通りにね。これが大事なんです。だから私どもの営業社員は絶えず勉強しなきゃいけない。非常に難しいですよね。
 家電店の売り上げで、お客さんが「これください」とカウンターまで持ってきてくれる商品は、全体の15%ぐらいしかありません。残りの85%は接客で す。そこが非常に難しい。衣類だったら売って、そこで気に入らなければ、もうそれで終わり。返品や修理、設置なんてないだろうし。そういう意味で非常に難 しい小売業だと思っています。

 



ヤマダ電機は「ユア・カンパニー」

 福島 これからも規模を拡大していかれるわけですよね。大阪の難波に大型店を出され、地方の小商圏では小型店をFC展開するとの発表もありました。
 山田 当社の今のシェアは、だいたい16%ぐらいです。売り上げが1兆5000億で20%ぐらいになると思う。そうなると規模の利益がさらに上がってくると読んでいます。その時期は06年度です。05年度の目標は1兆3000億ですから。これは50店舗出すとそうなります。
 で、その先は「どこまで考えているんだ」ということですよね。可能性ということでお話しすれば、例えば今現在、都市部といわれている神奈川県で31%の シェアを取っています。一方で地方はといいますと、群馬県を例に出せば40%取っています。そうなると、国内市場全体では、少なくとも3割ぐらいは取れる のかなと。そう思いませんか。


 福島 思います。
 山田  思いますよね。そうすると今のヤマダ電機の、ビジネスモデルの可能性としては、2兆円ぐらいはそう難しいことではないと思いますよ。うちが能動的に50店 舗出すということは、シェアを取りにいっているわけですから、市場が淘汰されますよね。伸びているわけじゃないですから。そうすると、そこでさらに優位性 が出てくるのかなと思っています。


 福島 では、やはり最終目標は全国制覇ということですか。
 山田  いや、そういうことではないんですよ。会社とは何かといった時に、私は「ユア・カンパニー」と答えています。マイ・カンパニーではなくてユア・カンパ ニー、みんなの会社だよと、そういう精神でやっています。全国制覇とか、そういうことではなくてね。ユア・カンパニーとして、中期的にどう生き残るか。そ のために今何をやらないといかんかという経営ですから。今は2兆円を目指しています。

 これも今だからいえる。これが3~4年前に2兆円といっていたならば、「お前はバカか」といわれたでしょうね。何年か前に「1兆円やらんといかん」といった時に、「そんなことできるわけがない」とさんざんいわれました。
 しかし、私からすると「そうかなあ」と思うわけですよ。「3年後には1兆円いきそうな気がするんだけどなあ」と。年に50店舗ずつ出せば、毎年1500 億円ずつ売り上げが増えていく。当時の売り上げは5000億円でしたから「3年でいくじゃないか」と。なぜそれを無理だと、みんながいうのか、私にはそっ ちの方が不思議だった。私は有言実行できていますから。大言壮語はしていません。


 福島 規模拡大と聞くとダイエーさんを頭に浮かべてしまうんです。ダイエーさんとヤマダ電機さんはやり方が全然違うとは思いますが、ただ規模拡大のリスクや恐ろしさは感じられませんか。
 山田 それは、経営のベースが違う。考え方も全然違いますね。1つの例を話せば、年間の設備投資が100あるとすれば、私はその20を常に既存店に投資しています。改装したり、スクラップしたり、在庫が溜まり過ぎていれば処分したりと。

 ダイエーさんの悪口をいうつもりはありませんが、あちらはストックですから。すべてを買い込んでいる。もちろん、まったく持たないというわけにもいきませんが、7対3か8対2ぐらいで、フロー、ストックを考えながらやっています。
 だから、なぜ規模拡大するかといえば、根拠があるからです。その可能性を知りながらやっているんです。いろんなものに手をつけるつもりもないし、この本業に徹していこうと。こう思っています。

 


ホリエモンの問題提起を評価

 福島 最近やっと日本にも若い経営者が出てきました。特にIT分野では堀江さん(ライブドア社長)や三木谷さん(楽天社長)など、これまでとは違うタイプの方が出てきました。山田社長は今の若い経営者をどう見ていらっしゃいますか。
 山田 孫さん(ソフトバンク社長)とは仲がいいですよ。話を聞いていますと、とにかく創造性豊かですよね。その上で、いろいろな挑戦をしている。私の座右の銘もそれなんです。「創造と挑戦」。なので、そういった面は共通しているよね。それはね、いいなと思うな。
 ライブドアさんについても、ニッポン放送株の件でいろんなことをいわれていますが、例えば株式の時間外取引は課題だったわけですよ。それを見える格好にしてくれたからこそ、「そういうことなんだ」と、私もそれに応じた経営ができます。

 彼は問題提起をしてくれた。それを恐れずにやる。いいと思うな。周囲が彼を潰しちゃいかんよね。芽を潰さないことが必要だと思います。創造的破壊を、ど んどんやってほしいね。その上で、もし彼が世の中に通用しなくなれば、その時は潔く市場から退場すればいい。それだったら仕方がないですから。


 福島 市場のグローバル化でいいますと、ヤマダ電機も外国人持ち株比率が高いですよね。キヤノンやソニーと同じぐらい。外国の投資家は経営に対する見方がシビアですし、その緊張感はどうなんでしょう。
 山田 そうですよね。よそ様は、多分防衛に走るよね。これは大変だ、ということで。でも私は違うんだよね。例えば当社はこれだけの規模になりましたが、私の個人的な株式資産は少ない。なぜだと思います。


 福島 ユア・カンパニーだから。
 山田 そう。短期間のうちにこれだけの事業規模になったのは、私が自分の株を市場に放出したからです。そうやって資金を調達してきた。これが一番具体的な私の考え方であり、経営のスタンスです。
 オーナー創業社長というと、自分の資産を海外に隠し持ったり、税金のかからない株式相続を考えたりと、そんな話をよく聞くじゃないですか。「じゃあ、会社とは何なんだ」と思いませんか。会社の役割は社会貢献だと思います。従業員を雇用し、利益を出して、これを社会に還元する。この循環があって初めて国が 栄えるわけじゃないですか。
 それを「全部自分のものだ」とやる。これは違うなあ、私とは。スタンスが少し違う。外人の持ち株比率が高くても「どうぞ」という気持ちですよ。もし、私の経営がおかしかったら、皆さんで何とかするでしょう。潰さないために優秀な経営者を送り込むとか。だけど、それ以前に我々が企業価値を高めていけば、外 人の持ち株比率が高かろうが低かろうが、関係ないんですよ。


 福島 山田社長の思いの中には今も、サラリーマン時代の報われなかった思いが脈々とつながっているんですね。
 山田 ちょっと変わっているかもしれないね。自分の資産は、ある程度で十分。子供の代か。せいぜい孫の代まで面倒見てあげられるぐらいあれば、後はいらないよね。そう思うよ。自分のためのお金はほとんど使わない。
 もっとも、たいして持っていないですけどね。(敬称略)

○山田昇(やまだ・のぼる)氏
1943年生まれ。64年専門学校卒業後、日本ビクターに入社し品質管理を担当。73年に家電店を個人創業し、83年株式会社に改組。代表取締役に就任。89年に株式を店頭公開し、2000年に東証第一部に上場。
インタビュー後記
 家電量販店は基本的に同じ商品を扱う職種。ヤマダ電機だけが、なぜ突出しているのか不思議でしたが、山田社長とお会いして少し理解できました。1つは「ユア・カンパニー」という理念です。仕事は自己実現の場との考え方が、有資格制度など独自のシステムにつながり、社員のモチベーションを引き出す。
 私自身、先日、お客としてヤマダ電機を利用しましたが、決め手は丁寧な接客でした。山田社長の「サラリーマン時代には報われなかった」との思いが、時代を超えて今やヤマダ電機のビジョンとして根付き、顧客をしっかりととらえているのだと思います。
 もう1つは意外ときめ細やかな出店戦略です。量販店といえば効率重視が相場ですが、地域密着型のビジネスを見過ごしていないのはさすがです。ヨーカドーがセブンイレブンを生み育てたように、ヤマダ電機から新たな地域密着型の家電販売スタイルが、構築されていくのではないでしょうか。(談)